りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

2020-01-01から1年間の記事一覧

メッセンジャー 緑の森の使者(ロイス・ローリー)

第2部から6年後の物語。かつての野生児マティは、魔法の指を持つ少女キラと別れ、視力を失っていたキラの父親と一緒に、新しく開かれた村で暮らしています。そこは記憶の器であったジョナスが若き指導者として拓いた、つつましいながら相互扶助の精神にあ…

ギャザリング・ブルー 青を蒐める者(ロイス・ローリー)

前作『ギヴァー』と同じ時代の物語ですが、本書では別のコミュニティが舞台となります。ここは一握りの守護者のみが富を独占し、大勢の庶民たちは絶望的な貧困と、それが生み出す残酷な争いの中で暮らしている世界。 かつて狩で父を亡くし、今度は病気で母を…

ギヴァー 記憶を注ぐ者(ロイス・ローリー)

いかなる不便も、争いやもめごとも、飢餓も貧困もない世界。その代償として全てが管理され、職業選択も居住場所も、配偶者の選択も家族構成も自由には決められず、嘘をつく自由すらない世界。肌の色による差別が起きることのないよう色を見る能力は奪われ、…

フラナリー・オコナーのジョージア(サラ・ゴードン)

1925年生まれのフラナリーは、大学院時代のアイオワと卒業にニューヨークで暮らした4年間を除いて、39歳で亡くなるまでのほぼ全生涯をジョージアで過ごした作家です。「暴力的でグロテスク」という印象が強かったために、これまで避けてきた「フラナ…

フラナリー・オコナー全短篇 下(フラナリー・オコナー)

下巻は、著者の死後に発刊された短編集『すべて上昇するものは一点に集まる』に、後期の2作品を加えたラインアップ。1964年に亡くなった著者の生涯は解放権運動とほとんどラップしていませんが、古くから南部白人が抱いていた黒人のイメージが崩壊して…

フラナリー・オコナー全短篇 上(フラナリー・オコナー)

著者は、1925年にアメリカ南部のサヴァンナに生まれ、アイオワ州立大学院と文化財団が運営するニューヨークの居住施設に住んだ4年間を除く生涯をジョージアで過ごした作家です。難病に苦しみながら39歳で亡くなるまで精力的に作品を書き続け、オー・…

ラ・ロシュフーコー公爵傳説(続)堀田善衞

ラ・ロシュフーコー公爵の『箴言』にある言葉を少し紹介しておきましょう。彼が生きた17世紀フランスは、絶対王政が確立していった時代として纏められますが、その一方で名門貴族階級の弱体化と新興ブルジョワジー階級の成長が起こっていました。旧態依然…

ラ・ロシュフーコー公爵傳説(堀田善衞)

16世紀から18世紀にかけてのフランス文学界において、自分や周囲を冷静に観察・分析してエッセーや箴言の形で的確に表現している人々が「モラリスト」と呼ばれているそうです。代表的な人物がモンテスキューとラ・ロシュフーコーであり、著者は『ミシェ…

アポロンと5つの神託 3.炎の迷路(リック・リオーダン)

ゼウスによって冴えない人間の少年に変えられてしまい神としての力を失ったアポロンが、豊穣の女神デメテルを母いに持つハーフ少女メグたちの協力を得て、失われた5つの神託を探すシリーズも中盤の第3巻まできました。 神託を奪い去った敵は、現代に蘇った…

戦争の犬たち(フレデリック・フォーサイス)

フォーサイス自身が赤道ギニアのクーデター支援を試みたという噂がある本書は、前2作にも増して事実とフィクションが混然一体としている作品です。 アフリカ某国から傭兵たちが撤退する冒頭と、意外な勢力が登場する結末が、著者が描きたかったことであり、…

オデッサ・ファイル(フレデリック・フォーサイス)

昨年秋に著者の自伝的小説である『アウトサイダー』を読み、初期3部作を読み返してみたくなりました。20代で通信社の海外特派員となって、パリ・東ベルリン・ナイジェリアに駐在した経験が、それぞれ『ジャッカルの日』、『オデッサ・ファイル』、『戦争…

2020/8 Best 3

堀田善衞氏の著作は、かなり前に『ゴヤ4部作』を読み、数年前に『ミシェル 城館の人』を読んだにとどまっていましたが、『路上の人』は感動的でした。国家や教会という権力に向って、身ひとつだけで対峙する人物の覚悟が、ひしひしと伝わってきたのです。今…

ボヘミアの森と川そして魚たちとぼく(オタ・パヴェル)

1930年にプラハで生まれ、近郊の自然豊かなクシヴォクラート地方を生涯愛し続けた著者が綴った自伝的短編集です。ヴルタヴァ川の支流であるベロウンガ川が流れる森林地帯は、キャンプ、ハイキング、川下りなどを楽しむにはうってつけの場所のようですが…

風と双眼鏡、膝掛け毛布(梨木香歩)

イギリス留学時に児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事したことを原点とし、自然観察者であり、カヌー愛好家でもある著者が、日本各地の地名から喚起され、想起された世界を描くエッセイ集です。 その範囲は広くて全ては書き記せませんので、著者の…

路上の人(堀田善衞)

13世紀初め、同じキリスト教徒でありながら異端と断じられたアルビジョワ十字軍のことを知ったのは、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』でのことでした。1985年に執筆された本書が、1980年にイタリアで出版された『薔薇の名前』に触発されたもの…

山月記・李陵(中島敦)

太平洋戦争中の1941年に33歳の若さで夭折し、わずか数編の作品しか遺していない著者が、「近代文学史上に屹立している」とまで評価されている理由は、代表作を一読すればわかります。中国古典に題材を求めながら、登場人物に己の分身として生気を吹き…

アフター・レイン(ウィリアム・トレヴァー)

著者の作品を読むといつも、優れた短篇小説には、人生の断章を切り取る視点と、最小限の文章で余韻を生み出す表現力とが必要であることを感じさせられます。20世紀の短編小説家としては、アリス・マンローと双璧ではないでしょうか。本書はとりわけ、アイ…

鹿の王 水底の橋(上橋菜穂子)

『鹿の王』の続編にあたります。黒狼熱大流行の危機が去った東乎瑠(ツォル)帝国では、次期皇帝争いが勃発していました。国教と一体化している東洋医学的な清心教医術が正統とみなされている帝国において、西洋医学的なオタワル医術の有効性が認められつつ…

南仏プロヴァンスの25年(ピーター・メイル)

著者の『南仏プロヴァンスの12か月』を読んだのは2012年のこと。この年にプロヴァンス旅行に出かけたので、その前に読んでみたのです。著者が住んでいたメネルブこそ行きませんでしたが、リル・シュル・ラ・ソルグからリュベロン高原に入リ、ゴルド、…

さよなら、ニルヴァーナ(窪美澄)

1997年に神戸で起きた14歳の中学生による猟奇的な連続殺人事件は、衝撃的でした。当時の「少年A」は、すでに少年院を退院しているのですが、時折マスコミに「現況情報」などが流れたり、また本人が一時メールマガジンを配信していたこともあって、一…

アニバーサリー(窪美澄)

直木賞候補となった『トリニティ』でこの著者を知り、他の作品も読んでみたくなりました。本書は世代の異なる2人の女性を通して、女性が働くことと子供を産み育てることの難しさに迫った作品であり、『トリニティ』とも通じる点も多いのです。 ひとりめの主…

マルドゥック・アノニマス 5(冲方丁)

ついにバロットがウフコックを救出。脱出の際にハンター一味のナンバー2であるバジルと対峙したバロットは、思いのほかクレバーでフェアなバジルを交渉相手として認めるのですが、彼女のもとにはさらに残虐で悪質な一団である「ガンズ」が迫っていました。 …

稚児桜(澤田瞳子)

15【稚児桜(澤田瞳子)】 副題は「能楽物語」。著名な能の演目をモチーフとしながら、オリジナルの物語を重層的に捻ることによって、人間の情念を深く描き出しています。時代小説の名手の筆が冴え渡っています。 「やま巡り-山姥」 遊女の舞が山姥を成仏さ…

赤い髪の女(オルハン・パムク)

トルコを代表するノーベル賞作家である著者の第10長編は、前々作『無垢の博物館』や前作『僕の違和感』と同様に、1980年代から今日に至る30数年間に渡って大きな変遷を遂げたイスタンブルを舞台にして展開される物語でした。とはいえ前2作のテーマ…

陋巷に在り 13 魯の巻(酒見賢一)

このシリーズで描かれたのは、孔子が魯の司寇であったわずか3年あまりの出来事にすぎません。しかも最終年度にあたる定公14年の出来事には、史書による記述もまちまちであり、虚構と断言する研究者すらいるとのこと。小説家にとっては腕の振るいどころで…

陋巷に在り 12 聖の巻(酒見賢一)

尼丘はついに滅びます。しかし滅びをもたらしたものは、天命としか言いようがないものでした。顔氏の太長老は死の直前に神の力の本質を知り、悪逆の限りを尽くした悪悦は実妹の子蓉に倒され、尼山の神から嘉された子蓉は、かろうじて最期の瞬間に間に合った…

陋巷に在り 11 顔の巻(酒見賢一)

孔子を生んだ徴在は、天命を生し終えたかのように若くして亡くなります。父も既に亡く、尼丘で顔氏の太長老から顔儒の礼を学んだ孔子が、やがて旧来の巫需を超えた新たな礼を生み出していくに至って、太長老は末娘が受けた神託の意味を理解し得たのでしょう…

陋巷に在り 10 命の巻(酒見賢一)

子蓉の媚術から逃れた妤は、顔氏が祀る尼山にとどまって回復過程を過ごしています。そんな妤に対して、顔氏の太長老は孔子の母である顔徴在の物語を語り始めます。なぜ太長老は部外者の小娘にすぎない妤に、一族の中でもタブーとされていた秘話を伝えるので…

陋巷に在り 9 眩の巻(酒見賢一)

顔回を殺戮しようとした女魃神を子蓉がとどめようとした時点で、両者の闘いは終わっていたようです。もともと子蓉が九泉への訪問とか女魃神の召喚という大技を仕掛けたのは、自分を無視する顔回を虜にするという願いを叶えるためであり、本気で彼を殺害する…

陋巷に在り 8 冥の巻(酒見賢一)

満月の強大な魔力を利用する子蓉に対して、医鶃は最後の手段を用います。それは巫医の神である祝融の力を借りること。しかもその成否は、薬草漬けの酒で一時的に意識を殺して祝融と出会うことになる、顔回次第というのですから、名医としては不本意でしょう。…