りぼんの読書ノート

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陋巷に在り 9 眩の巻(酒見賢一)

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顔回を殺戮しようとした女魃神を子蓉がとどめようとした時点で、両者の闘いは終わっていたようです。もともと子蓉が九泉への訪問とか女魃神の召喚という大技を仕掛けたのは、自分を無視する顔回を虜にするという願いを叶えるためであり、本気で彼を殺害するつもりはなかったのです。その願いは半分叶ったようなものですが、今度は九泉から脱出しなくてはなりません。 

 

2人しか帰還できないという冥界の掟に反して、妤を含めた3人での脱出に固執する顔回に対して、子蓉の提案は驚くべきものでした。冥界を欺くために、3者の精神をひとつに重ね合わせようというのですから。しかし1体の姿に3者の精神が満ちたとして、空隙となった他の2体を損じることなく帰還するなど可能なのでしょうか。ともあれ顔回の活躍によって、実世界で窮地に陥っていた医鶃らも救われ、妤の治療を完了するのです。 

 

さて物語は孔子に戻ります。古代の周礼を魯において復活させるためには、君主をないがしろにしている三桓家の力を削ぐ必要があり、彼らが私物化している三都城の毀壊する政策を実行している孔子は、最後の段階でつまずこうとしています。李孫氏の費城と叔孫氏の郈城は破壊しえたものの、孟孫氏の成城を預かっている公斂處父は難物であり、それは史書にも記されているとのこと。孔子は雨乞いの儀式である雩愁の場で、處父を呪殺しようとする大技を仕掛けようとするのですが、これは礼に背いていないのでしょうか。そしてそれを知った顔回がとった行動とは? 

 

孔子が魯の政界で失敗して放浪の旅に出ることは、儒学が広まるためには必要なことだったのでしょう。ならば孔子の政策が実現しえなかったのは、むしろ天命なのかもしれません。物語は最後のカタルシスへと向っていきます。 

 

2020/8再読