りぼんの読書ノート

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ラ・ロシュフーコー公爵傳説(堀田善衞)

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16世紀から18世紀にかけてのフランス文学界において、自分や周囲を冷静に観察・分析してエッセーや箴言の形で的確に表現している人々が「モラリスト」と呼ばれているそうです。代表的な人物がモンテスキューラ・ロシュフーコーであり、著者は『ミシェル 城館の人』に続く本書で、その両者を小説化したことになります。両者には80年の年齢差がありますが、長いフランスの混乱期に身を投じた後に、社会と個人の内面のかかわりを見つめ返したという点で、共通しているのでしょう。それは1918年に生まれて戦中戦後の混乱期を生きた著者の経歴とも重なり合うようです。 

 

モンテーニュが商業市民あがりのにわか貴族であったのに対し、フランス南西部に領地を有するラ・ロシュフーコー家は10世紀末に遡る大貴族でした。十字軍や英仏百年戦争に参加し、歴代フランス国王に仕えて爵位を拝し、3代前のフランソワ3世はピコ・デラ・ミランドーラの姪をイタリアから嫁に迎えたほどの名家だったのです。 

 

しかし一族は、ユグノー戦争の嵐に巻き込まれてしまいます。一族から枢機卿を出すほどのカトリックでありながら、プロテスタントのコンデ卿と縁戚関係を有していたことから次第に異端視されるようになり、フランソワ3世はサン・バルテルミーの大虐殺で殺され、2代前のフランソワ4世は初代ブルボン王として即位したアンリ4世の軍と戦って戦死してしまうのです。そして父親のフランソワ5世は、アンリ4世の後妻となったマリー・ド・メディシスに気に入られたのが災いし、反リシュリューの陰謀にうつつを抜かした結果、家財を大きく傾けてしまうのでした。 

 

その息子であるフランソワ6世が『回想録』や『箴言集』で名高い、本書の主人公なのです。しかし後世に残された著作のイメージとは異なり、彼もまた父親譲りの陰謀家型の武人だったようです。しかもリシュリューマザランと対立してフロンドの乱に巻き込まれたのは、宮廷で陰謀を巡らす女性たちとの恋愛関係が理由だったというのですから、かなりのバカ息子。戦闘で大怪我を負って領地に戻ってきた時に40歳となっていたフランソワは、急速に中央集権化を進めるフランスでの反乱などは無益であることにに気づいて、後半生を内省的な執筆生活に費やすことになるのです。 

 

主人公がそれほど著名でない人物ということもあり、一族や本人の経歴を綴るだけで長くなってしまいました。彼の生涯が生み出したエッセンスというべき『箴言集』については、項を改めて記しておくことにしましょう。 

 

2020/9