りぼんの読書ノート

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山月記・李陵(中島敦)

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太平洋戦争中の1941年に33歳の若さで夭折し、わずか数編の作品しか遺していない著者が、「近代文学史上に屹立している」とまで評価されている理由は、代表作を一読すればわかります。中国古典に題材を求めながら、登場人物に己の分身として生気を吹き込む手法が鮮やかなのです。「山月記」の李徴と「李陵」の司馬遷の違いは、自嘲の対象であるか、己の理想とするかの違いでしかありません。酒見賢一森見登美彦万城目学円城塔など、彼の影響を受けた現代作家も多いのです。 

 

山月記 

李徴の姿を獰猛な虎に変えてしまったのは、彼の内心で膨れ上がった「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」だったのです。才能を浪費して何もなし得ないまま、人間の心を失っていく李徴の慟哭が心に染みるのは、誰しもが陥る可能性があるからなのでしょう。 

 

木乃伊 

エジプトに侵略したペルシャ王旗下の武将パリスカスは、なぜ奇妙な既視感に襲われたのでしょう。代表作「山月記」と異なり、内面的な必然性に欠けている点が惜しまれます。 

 

「文字禍」 

人間が精神を退潮させたのは文字の精霊による禍なのでしょうか。そのこうな危険な真実に目覚めた者は、命まで狙われてしまうのです。 

 

名人伝 

天下第一の弓の名人を目指した紀昌は、「不射之射」の奥義を極めるのみならず、弓を忘れる境地にまで至ります。東洋的な名人のひとつの型が示されています。 

 

「弟子」 

孔子から常にたしなめられながらも、最も愛された一番弟子である子路の物語。孔子に心服し敬慕しながらも、孔子が「身を捨てて義を為すこと」を評価してくれない点が、唯一釈然とできないでいるのです。日本の武士道精神を体現したかのような子路像を創り上げた名作です。 

 

「李陵」 

讒言によって武王の怒りを買い匈奴に降った李陵、北辺に忘れられながら漢節を保ち続けた蘓武、李陵を弁護した故に宮刑を賜りながら「史記」を書き上げた司馬遷三者三様の物語ですが、著者の思い入れは司馬遷にあるのでしょう。歴史を「作る」ことを警戒して「述べる」ことに専念してもなお、歴史上の人物を描き分けて躍動させた司馬遷の思いと技量と使命感が、彼を絶望の淵から救いあげたのです。 

 

「斗南先生」 

古い時代思潮を生涯盲信していた困り者の伯父に辟易したのは、己の中に伯父と同じ気質を見出してしまったからなのでしょう。実在の伯父を題材にした私小説風の作品です。 

 

2020/8再読