りぼんの読書ノート

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陋巷に在り 11 顔の巻(酒見賢一)

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孔子を生んだ徴在は、天命を生し終えたかのように若くして亡くなります。父も既に亡く、尼丘で顔氏の太長老から顔儒の礼を学んだ孔子が、やがて旧来の巫需を超えた新たな礼を生み出していくに至って、太長老は末娘が受けた神託の意味を理解し得たのでしょう。そして50数年後、彼が部外者の小娘にすぎない妤に向って受かって徴在の物語を語るに至ったのも、やはり天命だったのです。 

 

孔子は定公らとともに兵を率いて成城へと向かいます。迎え撃つ公斂處父は、狂巫に身をやつした悪悦の使嗾をうけて、孔子の動揺を誘うために故郷の尼丘を襲撃させるべく兵を向わせるのでした。そしてその頃、何者かに誘われるように子蓉も尼丘を目指します。 

 

顔一族の手練れによる包囲網を軽々と打ち破った子蓉は、太長老や妤が待ち受ける聖地・尼山の祠へとたどり着きます。しかし彼女も無傷ではありません。死を前にして祠の前で跪拝する子蓉は、浄められていきます。このあたり『風の谷のナウシカ』でクシャナがユパから「血はむしろそなたを清めた」と嘉されたことと共通するものを感じる場面です。遅ればせながら尼山へと向かう顔回は、子蓉の最期に間に合うのでしょうか。 

 

先に子蓉によって甚大な被害を出していた顔一族には、もはや正規の軍勢に対抗する力は残されていません。次代を担う若者たちを逃れさせた長老たちは、時を稼ぐために最後の防御網を張りますが、尼山に最後の日が訪れようとしています。 

 

2020/8再読