りぼんの読書ノート

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陋巷に在り 7 医の巻(酒見賢一)

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第6巻のレビューで「物語はひとつの山場を越えた」と書いたのは、間違いでした。顔回によって尼丘山に運ばれた妤の治療は、凄まじい様相を見せ始めるのです。妤を落し入れた鏡が割れたくらいでは、子蓉の媚術は解けていないのです。というより、長期に渡って媚術をかけ続けられた妤は、もはや子蓉と一心同体のものになっているようです。 

 

ここで、南方を遍歴して医術を極めた医鶃という新たな人物が登場。もともとは生気を失いつつある高齢の太長老を診るために招聘された医鶃は、尼丘の村を凝視するだけで患者の存在を「見る」という神技を発揮するのです。少正卯を前にして晩節を汚すような行為に出てしまった太長老の心病を癒すものは、やがて明らかになりますが、そのためにも妤の回復が求められていたようです。 

 

しかし子蓉の媚術は医鶃の自信すら打ち砕きます、彼女が用いたのは、満月を用いる月蠱という秘術。月は太陽の光を反射する鏡であるのみにならず、引力を用いて潮汐力や重力にすら影響を与える存在です。公冶長の操る梟は全て撃ち落され、五六は簡単に操られ、顔回は死神である喪服の女に縋られて黄泉の国の入り口にまで連れていかれる始末。顔回を引きかえさせたのは、孔子と妤の幻だったというのは、何を意味しているのでしょう。壮絶な妤の治療は、次巻まで持ち込まれます。 

 

ついでながら、古代においては一体であった医術と巫術とが分離していく過程についての長広舌は不要だったように思います。孔子儒教が、原需の持つ巫術的な要素を切り捨てていく過程と同様の主題でしたので。 

 

2020/8再読