りぼんの読書ノート

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ともぐい(河崎秋子)

2022年の直木賞候補作となった『絞め殺しの樹』を読んだ時には、やはり道東出身の先輩作家である桜木紫乃さんの亜流という印象を持ってしまったのですが、自然や野生を題材とする作品こそが著者の持ち味なのでしょう。さすが「元羊飼い」です。本書は明治後期の北海道を舞台とする熊猟師の物語。

 

孤独な猟師に育てられた主人公の熊爪は、己の生い立ちも知らないまま、やはり猟師になりました。死期を悟った育ての親が雪中に消えた後は、名前もつけていない猟犬とともに山小屋に住み、時折ふもとの白糠の町に毛皮や獣肉を売りにいく以外は人の交わることはありません。そんな熊爪の生活を一変させたのは、冬眠しない羆に襲われた阿寒の猟師を助けたことがきっかけでした。人間を襲う狂暴な手負いの羆を仕留めなくてはならないことになったのです。

 

しかし本書は、熊爪と羆との死闘を描く物語ではありません。手負いの羆は、地元の若い羆に倒されてしまい、羆同士の闘いに巻き込まれた熊爪は重傷を負ってしまいます。苦痛と幻覚の中で「自分は人間なのか熊なのか」と悩み続けた熊爪は、山の王者となった若い羆との闘いを望みますが、それは自死への願望なのでしょうか。そして死に損なった自分を「もはや人間ではない」と思い定めるに至ります。

 

しかし物語はそこでは終わりません。彼の生き方を全否定するかのような盲目の少女・陽子との出会いこそが、新たな「ともぐい」の荒野へと熊爪を誘うのでした。やはり通常の人間ではいられなくなるような地獄を巡ってきた陽子と熊爪との関係は、愛情とか憎悪などという人間的な感情を越えた野性的なものなのでしょう。「ともぐい」の果てに、彼らは人間となれたのか。それともそれは単なる心の揺らぎに過ぎなかったのか。昨今問題になっている「市中熊」などとは次元の異なる凄まじい野生の物語でした。

 

2024/4