りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

恋大蛇(今村翔吾)

江戸時代の火消群像絵巻である「羽州ぼろ鳶組シリーズ」初の外伝です。本編で脇役だった者たちは、どのようなドラマを持っているのでしょう。

 

「流転蜂」

シリーズ第6巻『夢胡蝶』で闇落ちした元火消の「天蜂」こと鮎川転が、島送り先の八丈島で人生をやり直す物語。一度は火消稼業を捨てた鮎川でしたが、島を襲った山火事を防ぎ留め、逃げ遅れた子供の救出に乗り出すのでした。江戸で待っている千春のもとに帰れる日も遠くないのかもしれません。

 

「恋大蛇」

上方で起こった放火事件を題材とした『鬼煙管』と『双風神』で活躍した京の定火消・淀藩の野条弾馬が主人公。彼が、かつて店火消を務めていた緒方屋の娘・紗代との縁談を断り続けている理由は何だったのでしょう。そして焔と対峙する恐怖心を抑えるため、浴びるように飲んでいた酒と縁が切れる日は来るのでしょうか。

 

「三羽鳶」

本編で活躍する黄金世代に凄いメンバーが揃っているだけに、下の世代は少々影が薄いのは仕方ありません。それでも若い者たちも育っているのです。仁正寺藩の「凪海」柊与一、町火消め組の「銀蛍」銀二、け組の「医師」らが「銀波の世代」との異名を得た事件が綴られます。しかし自殺志願者を集めて焼死させる商売とは・・。

 

2024/9

死んでから俺にはいろんなことがあった(リカルド・アドルフォ)

主人公の男はポルトガルと思える母国で郵便配達の仕事に就いていたが、ある事件を起こし、妻と幼児と三人でイギリスとおぼしき外国に逃亡。現在は不法滞在の身で求職中。掃除婦として生活を支える妻の気晴らしにと家族で散歩に出かけた日曜日、帰路に乗った地下鉄の車両故障によって、まったく馴染みのない大都会の片隅に放り出されて、家に戻る方法がわからなくなってしまいます。

 

言葉も通じず、社会習慣もわからないまま、誤ったバスに乗ったことが深みにはまっていく第1歩でした。怪しげなビルの片隅で野宿をし、不良青年たちに残り少ない小銭を巻き上げられ、ヒッチハイクで拾ってくれた親切そうな男に警察に連れていかれ、窮状を訴えようとして警官と小競り合いを起こして逮捕され、強制送還されて母国の警察に引き渡されることになってしまうのです。坂道を転がるように状況が悪化していくのは、運が悪いだけではありません。主人公が常に感じている疎外感と外観疑心暗鬼と不信の念が招いたことでもあるのです。しかし読者は気づかざるをえません。それは彼だけの問題ではなく、移民や難民に共通することではないかと。

 

主人公は不法移民になることを、「社会のどこにも居場所を見つけられず、自分をまるで存在しない死人のように感じる」と表現しています。だから本書のタイトルが「死んでから」となっているのですが、それほどまでに深い絶望感を抱えて「生きる」ことなど不可能なのでしょう。

 

著者はアンゴラ生まれのポルトガル人ですが、物心がつく前にポルトガルに移住し、その後にマカオ、オランダ、イギリスに移り住み、2012年からは日本に住んでいるとのこと。本書は日本移住の前に書かれた作品ですが、東京で「ガイジン」として暮らす体験から『東京は地球より遠く』という連作短編集も生まれているとのこと。移民の視点を持ち続けている著者によって日本がどのように描かれているのか、気になるところです。

 

2024/9

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密(コスタンティーノ・ドラッツィオ)

新潮クレストブックスから出版された『ミケランジェロの焔』は、ルネサンス期の巨匠の生涯を1人称で綴り、名作の誕生の背景や苦悩を本人に成りきって語った作品でした。それに対して、以前に書かれた「秘密シリーズ」は3人称で綴られており、これまでカラバッジョダ・ヴィンチラファエロの3作が刊行されています漢交差。ただし多くの挫折と失敗を含む天才の光と影を丹念に描くことで、世界中を魅了する作品の軌跡に迫る点では共通しています。

 

フィレンツェ近郊のヴィンチ村で成功した公証人セル・ピエロの私生児として生まれたレオナルドが早熟の天才であったことは間違いありません。しかし家庭環境に恵まれなかったことで、彼は独学者とならざるを得ませんでした。後年になって土木、建築、兵器などの各分野で時代を超える才能を発揮しつつも、その大半がアイデア倒れで実現しえなかったことは、これと無関係ではないようです。著者はダ・ヴィンチがミラノ時代に精力的に取り組んだ設計図を「空想の兵器工場」と呼びました。美術の分野でも彼の新奇なアイデアは計画倒れに終わることが多く、「最後の晩餐」の異常な劣化や「アンギアーリの戦い」などの大作が未完に終わったことなどは基礎知識の欠如によるのでしょう。彼の有名な鏡文字も、幼少期に矯正を受ける機会がなかったことが理由のようです。

 

それでも彼は時代のはるか先を行く唯一無二の天才でした。ヴェロッキオの工房で描いた天使像は師を越えて生き生きと描かれ、「受胎告知」の背景は風景画というジャンルを生み出し、「白貂を抱く貴婦人」は身体の動きを描いて「一瞬を永遠にとどめた」美術史上初の作品となりました。そして「最後の晩餐」と「モナリサザ」は今なお世界で最も有名な美術品のひとつに数えられています。

 

ダ・ヴィンチは、20代の第1フィレンツェ時代、30代から40代にかけての第1ミラノ時代、50代初期の教皇軍に同行しての各都市流浪を経て、50代から60代をフィレンツェ、ミラノ、ローマで過ごした後に、アンボワーズで晩年を迎えました。当時の社会的背景や技術的な制約に加えて、独断的な性格や、当時は異端的とされたキリスト教解釈もあいまって、1か所に腰を据えて大作を完成させることが少なかったことが惜しまれます。ところで著者は、ダ・ヴィンチの革新性を継承した真の後継者は、彼の120年後に生まれたカラバッジョであると断言しています。はじめて聞く説ですが、「魂の動き」を表現し得た画家という2人の共通性を見出した著者の慧眼には説得力を感じます。

 

2024/9

神と黒蟹県(絲山秋子

本書の舞台となる黒蟹県とは、もちろん著者の創作であり、日本のどこにでもあるような地味な県。新幹線の駅はあるもの列車が停車するのは2時間に2本でしかなく、各地にちょっとした景勝地文化財や銘菓もあり、それぞれ異なる歴史を有する市の間には微妙な対立感情も流れている。イメージは北陸なのですが、海は南にあり、まあとにかく架空の県です。

 

日本のどこかにあってもおかしくなさそうな架空の地味県について語るのは、転勤して仕事の引き継ぎを受ける女性、蕎麦屋のドラ息子、テレビのロケのために街を訪れた者、弁当コンテストを開く市長、隣県出身の謎めいた赤髪の移住者など。地図や辞典もついているというディテールの凝りようは、トールキンやル=グィや上橋菜穂子を思わせるハイファンタジークラス。

 

そして黒蟹県に暮らす人々の姿を、別の視点から興味深く見つめるのが「半知半能の神」なのです。中年男性の姿で蕎麦を食べたり、美容院でパーマをかける女性客になったり、老舗食堂の若手経営者となったりする神の視点を交えることで、都市の衰退と成長という時代の流れを俯瞰できるようです。そして人間の世代が変わっても土地に息づき続けるものの存在が浮かび上がってくるのです。神の妻として寄り添う「狐」の存在も秀逸であり、「人生を死の順番を待つ時間」に例えた『離陸』と似た雰囲気を感じる作品でした。

 

2024/9

藍千堂菓子噺2 晴れの日には(田牧大和)

江戸・神田の小さな菓子屋「藍千堂」を、おっとりした菓子職人の兄、商才に長けた弟が切り盛りするシリーズの第2弾です。人日、上巳、端午、七夕、重陽五節句を題材にした季節の和菓子が登場する本書では、菓子に一途な兄・晴太郎の恋物語が進んでいきます。

 

晴太郎が、得意先の武家で出会った子連れの女性・佐奈に惚れてしまったことには、周囲の誰もが気付きました。しかし、今では大身の武家の若奥様となった雪も、裏の事情を知る岡っ引きの旦那も、話を聞かされた後見人の総左衛門も、弟の幸次郎さえもが、この話に反対するのです。なんと佐奈の元夫は奉行所を牛耳る大悪党の与力・鎧坂だったのでした。

 

それでも好きになった女性を幸せにしたいと、晴太郎は一世一代の大勝負に出るのです。今まで存在を知らなかった実の娘と、悪事を行う際に使い勝手の良い菓子司の両方を手に入れようとする鎧坂に対して勝算はあるのでしょうか。弟をはじめとする周囲の者たちも、晴太郎の決意を聞いて協力を惜しまないのですが・・。

 

余談ですが仙台の「ずんだ餡」とは、伊達政宗公が陣太刀(じんだち)で豆をすりつぶしたことから、「じんだち→ずんだ」と呼ばれるようになったとのこと。解説の姜尚美さんによると「あんこ好きに悪い人なし」だそうですが、その説の検証は済んでいないようです。

 

2024/9

声をあげます(チョン・セラン)

エンタメ系ジャンル小説を純文学より低く見ていた感が強かった韓国でも、SF小説が多く書かれるようになってきています。2010年以来SFを書き続けてきた著者はファンタジー系ですが、『わたしたちが光の速さで進めないなら』のキム・チョヨブのようなハード系作家も生まれています。特筆すべきは、女性SF作家の作品が、フェミニズムと親和性が高いことでしょうか。本書に収録された8作品は、どれも無理がある設定なのですが、意外と共感できるのです。

 

「ミッシング・フィンガーとジャンピング・ガールの大冒険」

過去へ転移してしまった右手の人差し指を捜して、高跳びの選手だった少女とともに過去へと向かう物語。ショートショートですが、長編にもなりそうです。

 

「十一分の一」

10人の男子学生と1人の女子学生が所属していた理工系サークルは、卒業とともに自然消滅してしまったのでしょうか。しかし紅一点だった女性がサークルの同窓会に出席したときに、男子メンバーが極秘に続けていた活動が明らかになるのです。彼女は決断を委ねられるのですが・・。

 

「リセット」

巨大ミミズが人類の文明を転覆させる物語。全てを食べ尽くしてしまう巨大ミミズの群れは、誰が何のために送り込んだものだったのでしょう。

 

「地球ランド革命記」

暴力、ヘイト、災害に満ちた地球は、宇宙人たちの観光先としてふさわしくないようです。しかし地球を模倣して造られたアトラクション施設「地球ランド」は、実物よりも醜悪だったのです。天使や朝顔姉貴やネコニンゲンたちに会ってみたいものですが・・。

 

「小さな空色の錠剤」

3時間の記憶を完璧に保存させる新薬は、痴呆症患者に向けて開発されたものでした。しかしその薬によって起きたことは「そんなつもりで作った薬ではない」のひとことに尽きるようです。

 

「声をあげます」

他者に有害な影響を及ぼす異能力者を集めた収容所の物語。主人公の教師は、聞いた者を殺人者にしてしまう声の持ち主であり、声帯を除去すれば解放されるというのですが・・

 

「七時間め」

6回目の大絶滅後に、地球の脅威とならない適正人口は25億と定められました。そこはいったいどのような世界なのでしょう。

 

「メダリストのゾンビ時代」

地球規模で発生したゾンビ時代を、ビルの屋上部屋に住んでいたことで生き延びられたアーチェリー選手。しかし彼女が救われる日は来るのでしょうか。そういえば韓国はアーチェリーの強豪国でした。

 

2024/9

歌われなかった海賊へ(逢坂冬馬)

第2次大戦下の独ソ戦を題材とした『同志少女よ、敵を撃て』を大ヒットさせた著者の2作目ですが、こちらの方を先に読んでしまいました。

 

本書の舞台が1944年のドイツ。密告によって父を処刑され、居場所を失った少年ヴェルナーが出会ったのは「エーデルヴァイス海賊団」を名乗るレオンハルトエルフリーデ。彼らは、愛国心を煽って自由を奪う体制に反抗し、ヒトラー・ユーゲントに戦いを挑んでいた少年少女でした。本書の中で触れられていた「スウィング・ボーイズ」と同様に、この「海賊団」は実在していたとのこと。前者については佐藤亜紀さんが優れた作品を書いていますね。

 

彼らは、市内に敷設されたレールに不審を抱いて線路を辿っていきます。そして究極の悪ともいうべき強制収容所を目にしてしまった彼らは、どのような行動を取るのでしょう。その一方で、「悪」から目をそらして「無知という名の安全圏」に留まろうとする大人たちの姿は対照的です。老年期を迎えた団塊の世代の者たちも、1960年代には「沈黙は共犯」などと唱えていたのですが、たとえ短絡的ではあっても行動を起こせることは、若者に許された特権なのでしょうか。差別や分断が渦巻く現代にどう行動すべきなのか、若い人はもちろん、大人にも読んで欲しい作品です。

 

2024/9