りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

茜唄 上(今村翔吾)

この数年だけでも「平家物語」は「池澤夏樹編日本文学全集」に収められた古川日出男訳と「宮尾登美子本」を読みましたが、著者による新解釈は新鮮でした。勝者によって書き記されるはずの歴史が、なぜ敗者である平家の名が冠されているのか。それを遺して後世に伝えたのは誰なのか。そして平家一門が歩んだ滅亡の道が、今日の国際情勢にも通じる視点から描かれているのです。

 

視点人物は平清盛の四男ながら清盛に最も愛された平知盛。清盛亡き後の平家棟梁となった次男・宗盛を補佐する事実上の大将軍として源平合戦を闘い抜いた人物です。なぜ清盛は平治の乱後に源頼朝らを処刑しなかったのかという疑問が解けたことで、彼の大戦略が固まりました。それは後白河法王を中心とする貴族政治を終わらせるために、複数の武家勢力による緊張関係を維持し続けようというものだったのです。しかし、西国の平家、東国の源氏、陸奥奥州藤原氏を想定した三者鼎立状態はついに実現できませんでした。

 

著者はその過程を情熱的に、しかし丁寧に描いていきます。木曽義仲の登場による都落ちはまだ許容範囲だったのでしょう。源頼朝が全てを掌中に取り込みたがる陰湿で欲深い人物であることを見抜いた知盛は、平家・木曽連合軍による東国源氏討伐を目論みます。しかし源義経がとんでもない軍事の天才である一方で、それ以外すっぽりと抜け落ちている人物であったことは、さすがの知盛にしても想定外だったようです。

 

上巻では各地で平氏に反する乱が頻発する中での清盛の死から、木曽義仲の上洛で都落ちした平家が反攻体制を築き上げるまでが描かれます。各章の冒頭に、ある人物が「平家物語」を琵琶法師に伝授する場面が置かれていますが、おそらく「平家物語」の創作者であり伝授者でもある人物の正体こそが、著者がもっとも描きたかったであろう主題と重なってくるのでしょう。

 

2024/4

ニッケル・ボーイズ(コルソン・ホワイトヘッド)

アメリカ南部から脱出する黒人奴隷たちの逃亡劇をファンタジーとして描いた『地下鉄道』の著者が、2度目のピューリッツアー賞を獲得した本書は、史実に基づくリアリズム小説でした。閉鎖されたフロリダ州の少年院学校から多数の遺骨が発掘されたことで、これまで隠蔽されてきた死に至る虐待の事実が明るみに出された事件を発信する目的で書かれた作品なのです。小説なので学校名は架空の「ニッケル校」とされていますが、重要なのはこのような場所は決してひとつやふたつではなかったということなのでしょう。

 

本書の主人公は、1960年代前半にフロリダ州北部のタラハシーに暮らすアフリカ系アメリカ人のエルウッドです。両親がカリフォルニアに去った後、祖母によって育てられた少年は、人種差別の事実を目の当たりにしながら公民権運動に夢を託している高校生です。学業の優秀さを認められて地元大学の授業を体験受講するはずだった日に起こったアクシデントによって、彼の行先は少年院になってしまいました。そこで彼を待っていたのは人種差別の縮図であり、それよりも酷い懲罰でした。社会変革の可能性を信じるエルウッドは、シニカルな皮肉屋ターナーと出会って、脱出を試みるのですが・・。

 

物語の冒頭は21世紀の現代であり、ニューヨークで事業を営んでいるエルウッドが、過去を告発する決意をする場面から始まっています。彼の正体が物語に深みを与えてくれますが、そのあたりは「読ませるための工夫」なのでしょう。本書の目的は、制度化された人種差別の邪悪さであり、理由のない暴力の存在であり、心に傷を負った人々が立ち直る困難さを描くことにあったのでしょうから。

 

2024/4

踏切の幽霊(高野和明)

『13階段』や『ジェノサイド』のイメージが強かったのですが、著者の本領は「社会派ホラーミステリ」で発揮されるのかもしれません。幽霊譚をがっつり中心に置いた作品です。

 

都会の片隅にある踏切で撮影された心霊写真。そこでは列車の非常停止が相次いでいました。取材に乗り出した女性向け雑誌記者の松田は、1年前にその踏切近くで殺人事件があったことを聞き出します。しかし現行犯で逮捕された犯人は何も語らず、被害者の若い女性は身元不明だというのです。そして心霊調査をする松田の周辺でも次々と怪奇現象が起こり始めました。

 

女性の幽霊の存在を前提にした作品です。彼女は身元を洗い出して欲しいのか。それとも犯人への復讐なのか。やがて松田がたどり着いたのは、政治家と犯罪組織の癒着という思わぬ真実でした。そして即死状態であったはずの女性が必死で踏切までたどり着いた理由は、哀しみに満ちていたのです。

 

1994年という時代設定もいいですね。バブル崩壊直後で、インターネットやケータイが普及する直前の時代。誰でもどこでも気軽に写真を撮って加工編集し、気軽に投稿できてしまう現代では、心霊写真などはもはや死語に近いのでしょう。本書はまた、長年連れ添った愛妻を失った主人公の再生物語という、もうひとつの側面を持っています。こちらは時代制約との関りは薄いですね。この組み合わせが絶妙でした。

 

2024/4

そこにはいない男たちについて(井上荒野)

夫のすべてを嫌いになってしまったまりは、友人の瑞歩に誘われて料理教室に参加します。そこは愛する夫を1年前に亡くした美日子が久しぶりに再開した、女性たちが少人数で交流する場でもありました。2人とも38歳で、まだまだ女盛り。まりはマッチングアプリで物色した男とデートを始め、実日子は助手のゆかりの弟からの不器用なアプローチを受けてしまいます。ふたりの「妻」の孤独と冒険の物語は、どこに行き着くのでしょう。

 

いつも側にいる夫を「いない」と思ってしまうまりと、いないはずの夫を「いる」と感じてしまう実日子。はじめは2人の女性の不幸比べのようだった物語は、中盤から次第に変化していきます。互いの視点が入れ替わるたびに、女性たちの内面が不穏な色彩を帯びて来るのです。表面上は世間のイメージに合わせて取り繕っていた仮面が剥がれていく過程が「怖くて楽しい」作品でした。

 

『ベーコン』や『リストランテアモーレ』などの著者らしく、登場する料理が女性たちの心情と連動していくする料理の選び方が抜群です。まりが好き嫌いの多い夫が手を付けない凝った料理を作る場面も、料理のプロである実日子が若い男のためにシンプルな丼を作る場面も、イメージ通り。むしろ先に料理があって、後から心情がついてくるかのようです。

 

2024/4

台湾漫遊鉄道のふたり(楊双子)

昭和13年、林芙美子を思わせる作家・青山千鶴子は日本統治下の台湾に講演旅行に招かれて、通訳の王千鶴と運命の出会いを果たします。千鶴は少女のような外見にもかかわらず、現地の食文化や歴史に通じ、料理の腕まで天才的な女性でした。通訳・秘書・ガイド・料理人を兼ねる千鶴に案内されて、千鶴子は台湾縦貫鉄道に乗りこんで台湾各地の味に魅了されていきます。

 

台北から高雄にかけて瓜子、米篩目、滷肉飯、冬瓜茶、菜尾湯、愛玉湯、蜜豆氷など、濃厚な台湾グルメを平らげながら一緒の時を過ごすうちに、千鶴子は千鶴に惹かれていきます。これは女性同士の友情なのでしょうか。それとも恋愛感情に近いものなのでしょうか。しかし、いつまで心の奥を見せない千鶴に対して、千鶴子の焦燥感は募っていきます。果たして2人の旅はどこに行き着くのでしょう。

 

著者は本書を「美食x鉄道旅x百合」小説と呼んでいますが、綿密な歴史資料考察と、深い内容を含んでいます。2人の関係には、当時の日台植民地関係、貧富の差、女性差別が影を落としているのです。「日本帝国の南進政策は支持しない」と言いながら、時に独りよがりで上から目線になりがちな千鶴子と、植民地の現地エリート女性として抑圧と葛藤を体験してきた千鶴の関係は、残念なことにハッピーエンドとはなりません。「自分の見たいものだけを見たいように見る」千鶴子と、「隠されたものが見えてしまう」千鶴の立場は、あまりにも遠いのです。

 

しかし著者は、2人の関係を「愛で乗り越えることは不可能だった」と言いながら、「愛で乗り越えることが困難であればあるほど、逆に愛に近いものだと思っている」と語っています。後に2人の娘たちが協力して出版したとされる、青山千鶴子著「台湾漫遊録」の中国語版の後書きまで含めて、壮大な虚構を楽しめる作品でした。ただし本書の背後には、相手は日本から中国へと変わったものの、依然としてくすぶり続ける台湾独立問題があることを忘れてはいけません。

 

2024/4

播磨国妖綺譚 伊佐々王の記(上田早夕里)

15世紀半ば、足利時代播磨国を舞台として、平安時代陰陽師蘆屋道満の末裔である2人の青年を主人公とする呪術ファンタジーの第2弾。怪異が見える僧形の弟・呂秀と、見る才はないものの強力な術師である薬師の兄・律秀のコンビはバランスが取れていますね。安倍晴明をはじめとする平安京陰陽師と異なり、地方の庶民のために働く法師陰陽師には、祈祷と漢薬が必需品だったのです。

 

兄弟がシリーズ第2弾で対峙する相手は、かつて人間たちに討伐されて滝壺へと姿を変えていた巨鹿の伊佐々王でした。人間への恨みを募らせて強力な呪力を身に着けた巨鹿の怪は、呂秀に式神として仕える「あきつ鬼」や、土地神である瑞雲とも互角の力を有しているようです。そして伊佐々王を蘇らせた、人間界の全てを呪って死んだガモウダイゴなるはぐれ陰陽師の怨霊は、あきつ鬼をも操ろうとしているようなのです。

 

この物語は本巻のみでは完結していません。どうやらガモウダイゴは、播磨の守護・赤松満祐が足利幕府の6代将軍・義教を殺害した「嘉吉の乱」と関わっているようですが、伊佐々王やあきつ鬼を使って何をしようとしているのでしょう。蘆屋道満に仕えてる前の記憶を失っているあきつ鬼の正体は、何なのでしょう。さらに、幕間に登場して蝶から舞を学んだ猿楽師の竹葉は、陰陽師たちの物語とどのように関わってくるのでしょう。

 

もともとSF作家である著者は、呂秀が見る「怪」の世界と、律秀が説く「理の世界」をバランスよく描いていますね。物語の展開もスムーズで、説明も過不足なく、人物描写もしっかりしています。初期のバイオSF作品などではSF的発想が前面に出ていたのですが、本当に上手になっています。このシリーズは、著者の代表作になるのかもしれません。

 

2024/4

クレイジー・リッチ・アジアンズ(ケビン・クワン)

貧しい中国系移民の娘ながら、ニューヨーク大学の経済学教授となった29才のレイチェル・チューは、シンガポール出身の同僚ニック・ヤングと恋愛中。彼が幼馴染の親友コリン・クーの結婚式で付添人を務めることになって、一緒にシンガポールで楽しい夏休みを過ごすことにしたのです。ニックは家族の前でレイチェルにプロポーズする決意を固めていたのですが、彼には秘密があったのです。それは彼の一族が清朝とも繋がる名家であり、世界有数の大富豪だということ。

 

ある階級に属する人びとにとって「結婚したい男性ナンバーワン」のニックが、中国系とはいえアメリカ人の娘を連れて里帰りするとのニュースはたちまちのうちに広まりました。ニックの母や親族からは目当ての女と思われ、元カノや社交界のセレブ女子からは嫉妬まみれの攻撃を受けたレイチェルは、真相を知ってビビリまくります。それでもニックの固い決意と変わらぬ優しさになだめられ、身分を越えた2人の愛は成就するかと思われたのですが・・。

 

「神様よりも裕福」と言われるクレイジー・リッチな華僑たちの生活は、平民の想像をはるかに超えています。アジア各国の王族や元王族との交友関係、世界中に保有する高級不動産、値段もつかない東西の美術品蒐集や自家用ジェット、さらには国家政策にまで影響力を有するというのですから。ちなみにニックの親友コリンの結婚式費用は4千万ドルとのと。シンガポールは階級社会ではないはずなのですが、匿名性とプライバシーを重視している名家は人知れず存在してるようです。やはり新興成金とは一線を画しているのです。

 

しかし名家意識と莫大な富が必ずしも幸福をもたらさないことは、ニックの親族たちが証明してくれています。従妹のアストリッドは堅実な夫から離婚を持ち出されているし、年ごろの息子や娘たちには「本当に金目当ての」男女が群がってくるし、中には勘違い野郎のバカ息子だっているのです。そんな中で、庶民的なヒロインは、次々にに襲い掛かってくる手ごわい敵や難題に対応できるのでしょうか。

 

舞台がシンガポールということもあって、クィーン・アストリッドやブキ・ティマやケイアン・ヒルズなどの高級住宅地、ラッフルズやグッド・ウッド・パークなどの名門ホテル、さらに上流階級であっても「食事を国技とする」シンガポーリアンなので庶民的でも美味しい食事など、懐かしい地名や料理が数多く登場する作品でした。ちなみに著者もシンガポールの富裕層出身だそうです。

 

2024/4