りぼんの読書ノート

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新古事記(村田喜代子)

日米開戦後の1943年。日系3世であることを隠して生きてきた若い女性アデラは、恋人の物理学者ベンに連れられてロスアラモスへとやってきました。そこはオッペンハイマーノイマン、ボーア、フェルミらをはじめとする錚々たる物理学者たちが集まって秘密の研究を進めている極秘の科学都市。やがて2人はそこで結婚するのですが、夫の研究内容は知らせてもらえず、結婚したことを外界の両親に知らせることもできません。

 

私たちはそこで開発された核兵器が後に広島と長崎に地獄絵図をもたらし、今なお世界を滅亡させる力を有していることを知っていますが、当時の妻たちはただ静かに暮らすだけ。子どもを生み育て、近所づきあいをし、神に祈りを捧げ、ペットたちの世話をする平穏な日々が続いていたのです。しかし妊娠を告げられた日にホワイトサンズで行われた核実験の閃光と爆発音で、アデラはすべてを悟りました。次いで原爆が日本に投下されたニュースを聞いて、彼女は悪夢を見るのです。

 

「日本の小さな神たちが行き場を探して右往左往している。辺りは火火火火火火、赤いものがボウボウと襲いかかる。世界は戦さの火だらけだ。火火火火火火が荒れ狂う。小さい神々は蟹のように火火火火火火に追われて逃げ惑う。山の神も火火火火火火、川の神も火火火火火火に包まれ、樹木の神も立ったまま火火火火火火に焼け焦げていく。焼け滅ぼされていく。」

 

著者は、原爆開発に携わった物理学者の妻が記した『ロスアラモスからヒロシマへ』という古い手記を翻案して小説に仕上げました。手記の筆者は、後に国連関連の支援活動を行い、原爆慰霊碑の前で平和を念じたとのことです。本書はまた、無知で平凡な女性にすぎなかったアデラが、人権思想を有する聡明な女性へと変貌していく物語でもありました。「新古事記」のタイトルは、神話レベルの破壊力を有してしまった人類に対する戒めの言葉にほかなりません。

 

2024/5