りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

風と双眼鏡、膝掛け毛布(梨木香歩)

f:id:wakiabc:20200721145827j:plain

イギリス留学時に児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事したことを原点とし、自然観察者であり、カヌー愛好家でもある著者が、日本各地の地名から喚起され、想起された世界を描くエッセイ集です。 

 

その範囲は広くて全ては書き記せませんので、著者の関心がわかる目次だけでも記しておきましょう。各地に伝わる塩の道である「三州街道(岡崎-飯田)」の足助・伊那、「千国街道糸魚川-松本)」の安曇野、「秋葉街道(浜松-飯田)」の御門・政所・相良、「塩津海道(敦賀余呉)」の塩津。主要街道である「北陸道」の伊那。「熊野街道」の紀伊長島・尾鷲・八軒屋・布施屋。「東海道」の大津・石場・矢橋・頓宮・生野・知立。「日光街道」の箱根ヶ崎・雀宮・五十里。 

 

著者の関心と関わる「大の字のつく地名」では大洗・大湊・大曲・大月・大沼・大熊。「ざわっとする地名」では姥捨・毒沢・銭函・花市場・無音・犬挟・シタクカエ。「植物系の地名」では宿根木・三本木・青梅・麻績・楢葉・「湖川の傍にある地名」では大洞・海ノ口海尻・湊・川岸・行方・潮来・子ノ口・犬落瀬・開発・浮気・小河内・丹波山・生保内、広久内。「アイヌ文化由来の地名」では蕪島・種差・是川・母袋子・鮫・星置・熊牛、カリカン・安瀬・濃昼・利尻。「国境の地名」では人里・数馬・猿ヶ京・法師・道志。「沖縄の地名」では普天間・読谷山・喜名・今帰仁・平良・東風平・富盛。 

 

印象に残った点を数カ所メモっておきます。安曇野は福岡志賀島に拠点を置いていた古代安曇族に由来していて、厚見・渥美・熱海なども同様のようです。奥琵琶湖の塩津は街道の終点であると同時に海路の始点でもありました。私の地元に近い雀宮が、鬼怒川を祀る「鎮めの宮」に由来していたとは知りませんでした。大荒磯が大洗に転じたのは、スケール感がアップしていますね。大湊で自然の生態系が守られているのは自衛隊基地のおかげとは皮肉なものです。姨捨は「楢山節考」の物騒な名前ではなく「麻の葉を捨てる場所」との説もあるようです。 

 

無音(ヨバラズ)の謂れは不明ですが、否定で終わる地名は少なくて印象に残ります。犬挟や犬落瀬の謂れも不明ですが、なんとなく犬が可愛そう。カリカンは集治鑑完成前の仮の鑑別所があった場所とは無粋ですが、これも歴史。 

 

濃昼(ゴキビル)はアイヌ語で「岩間の山陰」だそうですが、ここを通る道を開いた玉蟲左太夫という人物が凄い。幕末に仙台藩を脱藩して蝦夷巡検隊に同行した後に幕府団に同行して世界一周。欧米民主主義に感じる一方で支那人差別に心を痛め、アイヌには優しい目線を注いだヒューマニストですが、戊辰戦争時に奥羽越列藩同盟成立のための奔走もむなしく、敗戦後に獄に繋がれて切腹を命じられています。著者は、同じような経歴の坂本龍馬と比べて全く無名であることを惜しんでいますが、同感です。 

 

タイトルにある「膝掛け毛布」とは、どの場所も誰かのたいせつな故郷であり、「地名の味わいの奥深くには、そういう膝掛け毛布のような温かさと重みが在るように思われる」という、著者の感慨から採られています。 

 

2020/8