りぼんの読書ノート

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陋巷に在り 13 魯の巻(酒見賢一)

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このシリーズで描かれたのは、孔子が魯の司寇であったわずか3年あまりの出来事にすぎません。しかも最終年度にあたる定公14年の出来事には、史書による記述もまちまちであり、虚構と断言する研究者すらいるとのこと。小説家にとっては腕の振るいどころでしょうが、着地点が難しいのも事実です。大きな出来事は前巻までに決着がついていますが、一旦始まった物語は終わらせなければなりません。 

 

まずは少正卯。子蓉や悪悦の陰に隠れたまま、あまり活躍しなかった印象がありますが、東西南北を渡り歩いた「徒」である少正卯の力は、南方のみならず広大な西方の呪力も身に着けていたことにあったようです。顔氏滅亡という巫儒の世界では許されざる大罪を糊塗するための工作を行っている過程で、孔子に誅殺されることになります。 

 

しかし彼が蒔いた種によって隣の大国・斉から送り付けられた80人の媚女が、魯の中枢を骨抜きにしてしまうのです。そのような攻撃など、子蓉を知った顔回はもちろん、孔子にも通じることはないのですが、これも彼が魯国を見放す一因とはなったのでしょう。三桓家による策謀で、実権を持たない大司寇の位に祭り上げられていたこともあり、孔子は魯の改革に失敗したことを悟るのです。 

 

かくして己の無力さに失望した孔子は「天命の求めるところ」を知るために、数名の弟子を連れて14年に渡る放浪の旅に出ることを決意。この旅こそが孔子儒学・礼楽を完成に導き、後世に広める契機となったことを思うと、これもまた天命だったのでしょう。つつましい師弟の一行が「匡の畏」、「桓魋の難、「陳祭の厄」などの死地を何度もくぐることになる背景や、顔回がそれを救うであろう経緯は、本書から想像するしかありません。 

 

問題は顔回の夭死です。孔子顔回の死に慟哭しながら、葬儀を不可とした事情はどこにあったのでしょう。読者としては、役割を果たした顔回孔子のもとから離れて、陋巷で彼を待ち続けていた妤のもとに帰っていったというエンディングを勝手に想像するのみです。2002年に完結した本書に続編が書かれる期待は薄いのですが・・。 

 

2020/8再読