りぼんの読書ノート

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時のかけらたち(須賀敦子)

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1998年に出版された須賀敦子さんの最後のエッセイです。彼女の作品は、小説にしてもエッセイにしてもテーマが明確でしっかりした構成を持っているのですが、晩年におそらく病の中で書かれた本書は少々まとまりに欠けるように思えます。それでも、ひとつひとつの断章からは、彼女の生き方の源泉があふれ出て来るようです。

「リディアの夢―パンテオン
ローマ時代の学友リディアを夢に見たことから、彼女と同名の妻を持つハドリアヌス帝が修復したパンテオンを初めて見た瞬間の感動を思い起こします。それは著者をイタリアに留まらせるほどの感動でした。

ヴェネツィアの悲しみ」
ペスト患者や梅毒に罹った娼婦たちを隔離する病院があったザッテレ河岸を歩いて、夢のような都市ベネツィアにも暗部があったことに気づきます。ヴェネツィアの最盛期であった16世紀は、この島が夢の部分と影の部分にはっきりと別れた時代だったのでしょう。

「アラチェリの大階段」
カピトリーノの丘のアラチェリ階段と、即興詩人にも歌われたスペイン広場の石段は対照的です。前者を「聖の象徴」とすると、後者は「人がいることで完成する空間=雑踏」ではないかと、著者は指摘するのです。

「舗石を敷いた道」
学生時代に友人たちと訪れたアッピア街道で、イタリアの田舎出身の学友たちが意外なほど興奮していたことを思い出します。イタリアでは、舗石とは都会の象徴なのですね。著者は、意識もしないうちに、石ばかりのヨーロッパの都会になじんでしまっていたことに気づきます。

「チェザレの家」
ナタリア・ギンズブルグの友人であった評論家チェザレの家に、思いがけなく招かれたときの記憶は、奇妙で夢のように思える体験でした。

「図書館の記憶」
パリのパンテオンを訪れた際、かつてよく通ったサント・ジュヌヴィエー図書館の近くを通り、建物の外観をすっかり忘れていたことに愕然とします。著者の思いは、15世紀フィレンツェで図書館の歴史に貢献した2人のエピソードに飛んでいきます。そういえば彼らが遺した図書館の外観は、記録に残っていないのです。

「スパッカ・ナポリ
1990年のローマ訪問の際に、旧友たちからナポリのメルカダンテ劇場のこけら落し公演に誘われた著者は、スパッカ・ナポリに半年暮らした経験を思い起こします。修道院から始まり、次第に雑然としていき、最後は道路の廃墟のような青空市場に消えていくスパッカ・ナポリは、まるで人生が道に化けている存在のよう。

「ガールの水道橋」
日本文学を学ぶために来日したまま、ふらふらとフランス語講師をしていたジャック。ふっきれて故郷プロヴァンスに戻ったジャックに案内してもらった場所は、「一番美しいもの=ガールの水道橋」でした。2年後、彼の妻からジャックの訃報が届きます。

「空の群青色」
シエナフレスコ画の由来を調べてみると、描かれていたのは著者が想像したような孤独な騎士ではなく、城市を攻略に向かう合戦隊長でした。そのことはかえって、騎士の命の重みを感じさせてくれたのです。

「ファッツィーニのアトリエ」
現代彫刻家ファッツィーニを手伝っていた日本人女性を通じて、彼のアトリエに出入りしていたローマ時代。代表作とされる「木彫りのウンガレッティ像」に感じた明るさと深みは、彼の晩年の写真と作風からは感じられなくなっていきました。やがて訃報が届いたのです。

「月と少女とアンドレア・ザンゾット」
青白い月を少女にたとえていたザンゾット。「青白さ」という言葉で女性の肌つやを褒めていたギンズブルグ。それは、青白い白さをたたえた大理石の女性像と通じるところがあるようです。

「サンドロ・ペンナのひそやかな詩と人生」
著者が最後に紹介したのは、20世紀のイタリアでもっとも優しい抒情詩を残してくれた、ペルージャ生まれの詩人でした。亡き夫ペッピーノは、彼のことをいい詩人だと教えてくれたのですが、夫が遺した蔵書には彼の詩集はなかったのです。

2016/8