りぼんの読書ノート

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須賀敦子が歩いた道(須賀敦子ほか)

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須賀敦子さんの没後10年を過ぎた2009年に出版された作品です。須賀さんの作品やエッセーに登場した道を写真付きで紹介した第1章と、須賀さんと関係の深かった作家の松山巖氏や、翻訳家のジェレヴィーニ・アレッサンドロ氏が彼女の思い出を綴る第2章からなっています。

1950年代にイタリアに渡り、1961年に書店を営むペッピーノと結婚したものの、6年後に夫が急逝。帰国後は語学講師を務めながら、50歳を超えてから翻訳・著作をはじめた須賀さんは、欧米の香りを日本に持ち込んだ先駆者です。彼女の静謐な文章は、彼女の生き方と相俟って独自の世界を作り上げており、いまだにファンも多いのです。

そんな彼女が歩んだ道は、イタリアの各地に及びます。はじめてイタリアに上陸したジェノワ、イタリア語を学んだペルージャ学生寮で2年を過ごしたローマ、夫ペッピーノと暮らしたミラノ、夫の同僚ダヴィデ神父が司祭をしていたウディネ、大聖堂のモザイクに心惹かれたアクイレイア、女子大時代に憧れた聖女カテリーナゆかりのシエナや、画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの生地アレッツォ、義弟が部屋を用意してくれた山村フォルガリア、夫との旅行の約束を果たせなかったヴェネツィア、夫が愛した詩人サバの故郷トリエステ、後に講師として招かれたナポリ、そして大好きだったフィレンツェアッシジ

極楽通り(ペルージャ)、アラチェリ階段(ローマ)、ムジェッロ街とサン・カルノ広場(ミラノ)、聖女カテリーナ通り(シエナ)、ザッテレ河岸(ヴェネツィア)、ボーラ通り(トリエステ)、サン・ダミアーノ通り(アッシジ)など、須賀さんの著作の中に登場した道は、どれも印象深いのです。もちろん須賀さん自身は、彼女の遺した足跡が「聖地」となることなど望んではいないと思いますが。

2016/8