りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

安徳天皇漂海記(宇月原晴明)

イメージ 1

作者によると、「『平家物語』から安徳天皇という核を取り出して『吾妻鏡』や『東方見聞録』の細胞に入れた」物語だそうです。ジャンルとしては、「伝奇ファンタジー」とでもなるのでしょうか。

滅亡する平氏一門とともに、壇ノ浦で二位の尼に抱かれながら入水したわずか8歳の安徳天皇。琵琶法師の「平家物語」によると、二位の尼は「海の底にも、西方浄土にも都はあるのです」と言い聞かせたそうです。このとき皇家に伝わる三種の神器もともに水中に没し、勾玉と銅鏡は回収されたものの、草薙の剣は永遠に失われたと史書は記しています。

実は「裏三種の神器」も安徳天皇と共に沈んだのです。高天原からニニギが降臨する際にその身体を包んでいた真床追襖は海中に没した安徳天皇の身体を守る琥珀の珠となり、両手に握ったのは火遠理尊(山幸彦)がワタツミノイロコノミヤから手に入れていた、潮盈珠(しおみちのたま)と潮乾珠(しおひのたま)。

琥珀の珠に包まれた安徳天皇は、8歳の姿のまま東海を流れて江ノ島へたどり着き、最後の源氏の嫡流である実朝と出会います。北条一族に実権を奪われ飾り物の将軍でしかなかった実朝は、かつて一族の義経が滅ぼした安徳天皇と出会って、何を思ったのか。

実朝の死後、安徳天皇は南海を漂流して、南宋終焉の地・涯山に達します。元帝国の前に滅びていく南宋の少年皇帝と安徳天皇が、2人の少年として友誼を結ぶ様子を目撃したのは、元の巡察史だったマルコ・ポーロ。古来、非道の死を賜った皇族は、その「荒ぶる魂」で都を祟ったものです。安徳天皇の魂を最終的に鎮めたものは、いったい何だったのでしょうか。マルコ・ポーロは全てを見届け、ジパングの伝説を紡ぎ出すことになります。

鎌倉に残された「潮盈珠」と「潮乾珠」が、二度にわたる元寇から日本を救ったというあたりは、よくぞ史実と繋いだものと感心しますが、単に漂流する「物体」としての安徳天皇はもとより、登場人物に魅力を感じられない分、評価は下がってしまいます。いや、作者の狙いはそんな所にはないのでしょうけどね。

2007/5