りぼんの読書ノート

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葛野盛衰記(森谷明子)

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「葛野(かどの)」とは現在の京都市西側一帯を指す古名であり、桓武帝の平安京は山背国の葛野郡愛宕郡にまたがって建設されました。平安京の西を流れる桂川は、古くは葛野川と呼ばれていたそうです。

本書は、葛野の地霊が都を呼び寄せた桓武帝の時代と、栄枯盛衰を繰り返す人間たちの争いに愛想を尽かした地霊が京を見捨てる平家滅亡を描いて、平安京の時代を俯瞰する幻想的な物語。

この時代の影の主役であったのは、葛野の地霊を祭る「秦一族」とされています。桓武帝を魅了して遷都を実現させ、後には嵯峨天皇の皇女で賀茂斎院となった有智子と親しくなる守の巫女・讚良(さらら)から、400年間後に平清盛と後白川院の対立を煽った内野・常盤の姉妹に至る家系。常盤は義経の母でもあります。

もう一方の主役は、葛野川下流の長岡の地に住まっていた「多治比一族」。皇太子時代の若き桓武帝に愛されながら子を得ることができず、失意の中で亡くなった伽耶に代わって入内した、姪の宋真。彼女が授かった子の子孫は「桓武平氏」となって、葛野とは離れた鴨川左岸の六波羅から京を支配することになるのですが・・。

この2つの家系は、時に対立しながらも、螺旋のように絡み合っていきます。讚良が真に愛したのは多治比を棄てた宋真の兄・櫂であり、内野が愛して一族の秘密を告げたのは、平家でただひとり生き残る平頼盛(清盛の異母弟)なのですから。

森谷さんの作品は、幻想小説ではあっても、緻密な時代考証の上に書かれています。伽耶と運命をともにするかのように短命な長岡京(784~794年)も、秦一族の氏寺であった広隆寺の火災(818年)も、物語に組み込まれています。幻想的でありながら「一大叙事詩」に仕上がりました。秀作です。

2010/10