りぼんの読書ノート

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戦時の音楽(レベッカ・マカーイ)

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本書に収録された17編の短編は、必ずしも戦時の物語というわけでも、音楽をテーマとしている作品というわけでもありません。著者は、悲惨な運命や権力に抗うための力を「戦時の音楽」と名付けているようです。戦争の不寛容さを淡々と綴る冒頭の掌編「歌う女たち」から、主人公が「許し」へと至る最後の作品まで、並び順もよく考えられています。

「これ以上ひどい思い」
聖職に就こうとしている少年が、収容所で右手の薬指を切断されたヴァイオリニストの美しい演奏を聴いて幻視したのは、彼が潜り抜けた忌まわしい体験だけでなく、祖国を逃れて生き延びた父親が感じていた罪悪感でもあったのです。

「十一月のストーリー」
芸術家に共同生活をさせて優勝者を決めるTV番組のプロデューサーは、断片を繋ぎ合わせて虚偽を生み出す手法にうんざりしています。しかしそんな企画からでも、なにかが生まれ出ることがあるのでしょう。

「リトルフォーク奇跡の数年間」
サーカスの象が亡くなって埋葬された町から離れられない象使いは、悩める牧師の信仰の拠り所になったようです。長い年月の末にこの町で起こった出来事は、一種の奇跡と呼べるものかもしれません。

「ブリーフケース」
当局に連行される途中で逃亡したシェフが、代わりに逮捕された大学教授のブリーフケースを持ち去って、何年もの間本人になりすまします。やがて大学教授の妻と対面する日が訪れた時、偽りの人生や他の可能性があった人生に思いを馳せるのです。そこではもう、年代や都市は意味をなしていません。

「赤を背景とした恋人たち」
現代ニューヨークに一人で暮らす女性のヤマハピアノから、なんと「大バッハ」が時空を超えて登場。ブルースやシャガールを好んだりもするのですが、やがて消えゆく前に、彼は女性に何をもたらしたのでしょう。森鴎外らが現代日本にタイムスリップしてくる官能小説家(高橋源一郎)と同じ発想ですが、女性には残せるものもあるのです。

「絵の海、絵の船」
旅先で鴨と間違えてアホウドリを撃ち殺してしまった大学講師の女性は、うかつな発言と意地を張った行為を重ねた結果、窮地に追い込まれてしまいます。先入観や、ちょっとした過ちが、時には致命的になってしまうのです。

「十字架」
チェロ奏者の女性が孤独を求めて引っ越した家の庭には、交通事故の犠牲者を悼む十字架が立っていました。月命日ことに訪れてきて醜い祭壇を拡張させていく遺族に対して、彼女は反感を持ってしまいます。彼女には出口があるのでしょうか。

「惜しまれつつ世を去った人々の博物館」
アパートのガス漏れ事故の結果、婚約者の死と裏切りを同時に知った女性が、旅行中で難を逃れたホロコーストの生き残りの老婆と会話します。2度までも「ガス」から生き延びた老婆は、ナチスの青年と結婚してずっと一緒に暮らしてきたという数奇な人生をたどっていたのです。「許すこと」の重さを知った女性は、新しい人生を始められそうです。

ハンガリー動乱の際にアメリカに逃れた父親を持つ著者には、祖国の政治家であった祖父と、舞台俳優であった祖母がいたとのこと。祖父母のエピソードと思しき「別のたぐいの毒」、「侍者」、「家に迷い込んだ鳥」は、いずれも掌編ですが重い作品です。

2018/9