池澤夏樹氏の個人編集による「日本文学全集」第3巻の3作めは、『源氏物語』の47年後に書かれたと伝えられる『堤中納言物語』です。パロディ精神とユーモアに富む10編(+1断章)の新訳に、『FUTON』の著者をあてるとは、心憎い人選です。馴染みの薄い物語も多いので、全部紹介しておきましょう。
「虫好きのお姫様(虫めづる姫君)」
「ナウシカ」のモデルとも言われる、虫好きのお姫様の物語。後半になって恋の予感を感じさせるところで、突然終わってしまうのが残念。「続きは二の巻で」とあるのに、失われてしまったのでしょうか。
「ナウシカ」のモデルとも言われる、虫好きのお姫様の物語。後半になって恋の予感を感じさせるところで、突然終わってしまうのが残念。「続きは二の巻で」とあるのに、失われてしまったのでしょうか。
「一線越えぬ権中納言(逢坂越えぬ権中納言)」
権中納言は完璧な貴公子なのですが、遠慮深く、慎み深い性格のため、恋する女宮の側まで参上しても、一線を越えられません。「薫の君」のような男性を、冷かしているのでしょうか。
権中納言は完璧な貴公子なのですが、遠慮深く、慎み深い性格のため、恋する女宮の側まで参上しても、一線を越えられません。「薫の君」のような男性を、冷かしているのでしょうか。
「貝合」
ある姫君と腹違いの姉が貝合をすることを盗み聞きした蔵人少将は、母の居ない姫君の境遇に同情して、素晴らしい貝を用立ててあげるのでした。美談に聞こえますが、下心もありそう。
ある姫君と腹違いの姉が貝合をすることを盗み聞きした蔵人少将は、母の居ない姫君の境遇に同情して、素晴らしい貝を用立ててあげるのでした。美談に聞こえますが、下心もありそう。
「姉妹二人に少将二人(思はぬ方に泊まりする少将)」
完全に「宇治十帖」のパロディですね。姉妹の姫君にそれぞれ通っている2人の少将が、ふとした取り違えで、妻ではない方の姫君と契ってしまうのです。悲劇にならなければ良いのですが・・。
完全に「宇治十帖」のパロディですね。姉妹の姫君にそれぞれ通っている2人の少将が、ふとした取り違えで、妻ではない方の姫君と契ってしまうのです。悲劇にならなければ良いのですが・・。
「花咲く乙女たちのかげに(はなだの女御)」
ある屋敷に集った姉妹たちが、それぞれ仕えている女主人を自慢しあいます。ところが、姉妹たちの大半と関係ある風流男が盗み聞きして、ゴシップ話を書き伝えてしまうのです。光源氏を皮肉っているのか、「源氏物語」を皮肉っているのか、どちらなのでしょう。
ある屋敷に集った姉妹たちが、それぞれ仕えている女主人を自慢しあいます。ところが、姉妹たちの大半と関係ある風流男が盗み聞きして、ゴシップ話を書き伝えてしまうのです。光源氏を皮肉っているのか、「源氏物語」を皮肉っているのか、どちらなのでしょう。
「墨かぶり姫(はいずみ)」
新旧2人の妻を持った男が、新しい妻と同居するために、もとの妻を追い出そうとするのですが、そんなゲスな行為を後悔する物語。とりわけ、新しい妻に幻滅する場面はコミカルです。
新旧2人の妻を持った男が、新しい妻と同居するために、もとの妻を追い出そうとするのですが、そんなゲスな行為を後悔する物語。とりわけ、新しい妻に幻滅する場面はコミカルです。
「たわごと(よしなしごと)」
ある僧が書いた、品物を借りるための手紙は、はじめはしおらしいのに、次第に厚かましくなっていきます。コミカルな作品ですが、僧と深い仲になって頼みを聞いてやったと思しき女性への忠告になっているようです。
ある僧が書いた、品物を借りるための手紙は、はじめはしおらしいのに、次第に厚かましくなっていきます。コミカルな作品ですが、僧と深い仲になって頼みを聞いてやったと思しき女性への忠告になっているようです。
中島さんは、「挿入される歌を、現代短歌として三十一文字で訳す」という「暴挙」に打って出ました。「いづこにか送りはせしと人問はば心はゆかぬ涙川まで」を、「どちらまで送り届けたか問われたら涙川だと答えてほしい」という具合に、意味とリズム感を重視したわけです。これも凄い!
2016/6