りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

クラウド・アトラス(デイヴィッド・ミッチェル)

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マトリューシカのような「入れ子構造」を持つ6つの物語からなる本書では、まるで「六重奏曲」のように、ひとつのテーマが繰り返して奏でられます。「彗星のアザ」を持つ6人の男女が時代を超えて奏でるテーマは、最後の1行に要約されているのでしょう。「人生は限りない海のたったの一滴でしかない。だが、どんな海も数知れない一滴からなるのではないか・・」と。

「アダム・ユーイングの太平洋航海記」
1849年、太平洋の島で奴隷売買契約を済ませたアメリカの公証人ユーイングは、医師グースらとともに帰路の船旅につきます。船中でも、寄港した島々でも、白人支配主義の腐臭を嗅ぎ取ったユーイングでしたが、死をもたらす寄生虫に宿られたとグースから指摘されてしまいます。実はこれは陰謀の一環なんですけどね。密航者の黒人奴隷オーティアに救われたユーイングは、「個人においては利己主義が魂を醜くする。人類においては利己主義は絶滅を意味する」と日記に記すことになります。冒頭と末尾に置かれるにふさわしく、力強い作品です。

「セデルゲムからの手紙」
1936年、ユーイングの航海日記を愛読する音楽家フロビシャーは、同性愛の恋人シックススミスに別れの手紙を書き、銃で自殺を図ろうとします。往年の大作曲家エアズに曲想を奪われたのみならず、エアスの妻女からも裏切られたためなのですが、自らの死を、直前に完成させた幻の交響曲クラウド・アトラス 六重奏」の「優雅な確実性と完璧な終結」になぞらえて、心の安らぎを覚えるのでした。

「半減記 ルイサ・レイ最初の事件」
その37年後、著名な物理学者となったシックススミスは、カリフォルニアに建設される原発を告発する文書をジャーナリストのルイサに託した直後に殺害されてしまいます。この原発の正体は原爆用ウラン製造装置だったんですね。ルイサにも殺し屋の魔の手が迫り、絶体絶命の窮地に・・。正統派の企業陰謀ミステリですが、福島を経験した私たちには他人事とは思えません。ところでルイサの魂を揺さぶった曲こそが、「クラウド・アトラス 六重奏」でした。

「ティモシー・キャヴェンデッシュのおぞましい試練」
2012年のロンドン。「半減期」の出版を計画している老編集者ティモシーは、思わぬ事件からベストセラーを生み出しますが、関係者から脅迫されてしまいます。助けを求めた兄のデンホルムには騙され、逃避行の末にたどり着いた先は、なんと老人介護施設での監禁生活。果たして彼の運命は?

「ソンミ451のオリゾン」
2144年。全体主義国家ネオソウルでは、遺伝子操作で合成された「ファブリカント」が人間に支配され、労働力として酷使されています。「ウェイトレス種」の一員であるソンミ451は「覚醒」した後に革命家チャンに救出されますが、その目的は、人間たちにファブリカントへの不信を植え付けるための陰謀にすぎませんでした。しかし死刑を宣告されたソンミは語るのです。「なぜ殉教者は自分のユダたちに協力するのでしょうか。より大きな終盤を見ているからです」と。彼女が唯一見たことがあった映画が「ティモシー」でした。

「スルーシャの渡しとその後のすべて」
「シューマツ」と呼ばれる出来事によって文明の崩壊した未来世界。ハワイ島のホノカアで素朴に暮らす部族は、凶悪な人食い種族に怯えながらも、遥か昔に世界を救ったとされる女神ソンミを崇めていました。かつて家族を見殺しにしたことを悔いているザックリーは、科学文明を維持したコミュニティーから島を訪れたメロニムという女性とともに「悪魔の山」に登るのですが、そこで知らされたのは彼女の本当の使命と、唯一の文明社会も滅びつつあるという知らせでした。やがてザックリーの部族は襲撃され、ソンミの意味も失われていきます。

「個人においては利己主義が魂を醜くする。人類においては利己主義は絶滅を意味する」という、ユーイングの恐るべき予言が実現してしまったかのような未来図です。しかし読者は、「人生は限りない海のたったの一滴でしかない。だが、どんな海も数知れない一滴からなるのではないか」との末尾の一文を、未来を変えるためのメッセージとして受け取らなければならないのでしょう。

映画版は、「マトリューシカ構造」というより、「オムニバス的」にならざるを得なかったそうです。映画という様式からしてやむをえませんね。

2013/5