りぼんの読書ノート

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等伯(安部竜太郎)

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数年前に東博の「新春国宝展示」で「松林図」を見たときには、あまり魅力を感じませんでした。むしろ京都智積院に残る「祥雲寺障壁画」のほうが素晴らしいと思ったものです。どちらも国宝ですけれどね。

しかし桃山時代を代表する絵師・長谷川等伯の生涯を描いた本書を読むと、「松林図」の誕生をもって彼の生涯のクライマックスとした理由が理解できます。後継と目した息子・久蔵の死の悲しみが、この作品を産み出したのですね。確かに彩色画の華やかさはないものの、「美術史上日本の水墨画を自立させた」と言われるにふさわしい情感豊かな作品です。

石川県七尾に生まれた等伯が上京するまでの事情は不明とされていますが、著者はそこに没落した畠山氏に仕えた実家の影を見出します。畠山氏再興に尽くす兄・武之丞の執念と、京の貴族に嫁いだ畠山氏の娘・夕姫への思慕が関係していたと言うんですね。

しかし戦乱の時代に上京した等伯は、一方では信長、秀吉らの権勢に、もう一方では狩野永徳を頂点とする狩野派の妨害に苦しめられます。七尾時代から苦楽をともにした妻・静子に先立たれた等伯は、法華の教えに救いを見出そうとするのですが、「誰も見たことのない絵を書きたい」という焦熱の思いの持ち主ですから、悟りは遠そうです。

後妻に清子を迎えて生活も安定し、千利休の知己を得て大徳寺三門の壁画を制作するなど有名絵師の仲間入りを果たした等伯でしたが、そこにもまた狩野派との暗闘や、心の師・千利休の自刃など、時代の波が襲い掛かってきます。そしてついに悲劇が・・。

本書の新聞連載中に3.11が起こり、著者は強い無力感に襲われたとのことです。それでも何とか本書を完成させることができたのは、数々の苦難を乗り越えて「松林図」の境地にたどりついた等伯の強さに触発されたからだと語っています。あらためて「松林図」を再観してみたくなりました。

2013/4