りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

女たち三百人の裏切りの書(古川日出男)

平安時代後期、院政が始まり武士階級が台頭しつつある時代、100年以上も前に亡くなった紫式部の怨霊が蘇ります。病の床に伏した麗景殿こと紫苑の君に憑りついた物の怪が、今に伝わる「宇治十帖」は改竄されたものだと恨みを述べるのです。では、光源氏が雲隠した後の本当の物語とは、どのようなものだったのでしょう。紫苑の君を愛する三位中将建明、優れた文才を有する麗景殿の女房ちどり、物の怪の憑坐となる少女うすきは、何を企んでいるのでしょう。

 

紫式部の怨霊が語る「宇治十帖」は、今に伝わる原典と大筋では変わりません。光源氏の不完全な分身のような薫君と匂宮が宇治に隠棲した八条宮の三姉妹である大君、中君、浮舟と繰り広げる、まるで現代劇のような「男女5人宇治物語」。しかし伝えられなかった物語があるというのです。それは公家以外の人々の物語。浮舟の母である中将君は国守の後妻となって陸奥や東国で何をしていたのか。浮舟の入水の理由は恋愛のもつれだったのか。浮舟を救った者は誰だったのか。

 

「宇治十帖」の行間から現れ出るのは、。黄金や奥州の馬を商う商人であり、南都の大寺院に武力を提供する蝦夷の末裔たちであり、西海の海賊衆を統べる人神なのかもしれません。それらの勢力と結びつくのは、やがて現実世界で三つ巴の争いを繰り広げる藤氏、平氏、源氏なのかもしれません。やがて紫式部の怨霊は3人に増え、3つの物語が並行して語られていきます。物語の力を知る者たちが、自分たちの紫式部を擁して自分たちの物語を作り出していくのです。たとえば薫君は奥州と結びつき、たとえば匂宮は海軍大将となり、たとえば浮舟は西海に流れ着く。やがて物語は現実と交わり、歴史となっていくのでしょう。

 

貴族たちの、女人たちの、海賊たちの、武士たちの、蝦夷たちの物語を幻視する「古川日出男版・宇治十帖」は、とてつもない野心に満ちたパワフルな作品でした。

 

2023/4