りぼんの読書ノート

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STORY OF UJI(林真理子)

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林真理子版『源氏物語』は、千年も前に書かれた古典が既に現代小説と同様の骨格を有していたことを、徹底的にあぶりだしてくれています。本書に先立つ『六条御息所源氏がたり』で描かれた光源氏の姿は、中年以降に急速にオヤジ化する親の七光りを振りかざした無反省絶倫青年にすぎませんが、女性たちの描き方が秀逸でした。語り手の六条御息所は嫉妬に狂ったタカビーなジコチュー女ですし、夕顔はヤンママぶりっ子で朧月夜はイケイケセレブ、葵上は男嫌いに育った箱入り娘で女三宮は単なる幼稚で愚かな女。おそらく著者自身と重ね合わせたであろう聡明な紫上や明石は、女性としての幸福を掴み切れません。

 

そんな著者が描いた「宇治十帖」にも、もちろん辛辣な解釈が施されています。今上帝と明石中宮の三男で光源氏の孫にあたる匂宮は、若い頃の光源氏のようなわかりやすい青年ですが、出生の秘密に悩む薫君はややこしいこじらせ男子。どちらも女を不幸にするタイプです。そんな男たちの恋愛ゲームに翻弄されたのは、宇治に隠棲した皇族・八の宮の忘れ形見の3人の女性たち。

 

物語の前半は大君と中の君を交えた「男女4人宇治物語」。互いに惹かれ合う薫君と大君が結ばれれば簡単なのですが、大君も相当のこじらせ女子なのです。妹を薫君と契らせようとして、匂宮と関係させてしまうドタバタ劇は滑稽ですが、もちろん本人たちには大悲劇。この手法はシェイクスピアも用いたし、現代ドラマでもよく使われていますね。

 

そして長い物語のラストを飾るヒロイン・浮舟が登場するのです。2人の男性に恋されたあげく、理性と感情の矛盾に耐えかねて宇治川に身を投げる女性。「理性と感情の矛盾」こそが近代文学の一大テーマであることは、ポヴァリー夫人やアンナ・カレーニナを例に出すまでもありませんね。新訳を著した角田光代さんは「なぜ最後がこの人なの?」と自問したそうですが、全ての男を否定して出家の道を選ぶ浮舟の再生は、当時の女性の生き方として極北に位置するものだったのかもしれません。

 

2021/9