りぼんの読書ノート

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そして、星の輝く夜がくる(真山仁)

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2014年3月11日という出版日には、もちろん意味があります。東日本大震災の被災地にある小学校を舞台にして、深く傷つきながらもそこから立ち上がろうとする子供たちの姿をリアルに描いた、連作短編集です。定期的に被災地を訪れている著者の、「大人がだめな時、子どもたちは頑張りすぎて吐き出せずにつらい思いをする。阪神の時もそうだった」という思いが反映された作品となっています。

視点人物は、神戸から応援教師として東北に赴任してきた小野寺。阪神淡路大震災での被災経験を持つ小野寺は、子供たちと正面から向かい合う中で、被災地が抱えるさまざまな問題や矛盾に目を向けていきます。東北の子供たちにとって、いかにも「他所者」めいた関西弁が効果的ですね。

「わがんね新聞」
東北弁の「わがんね」という言葉には、単に「理解できない」というだけでなく、「許せない」という意味があるそうです。大人の常識、学校の常識、被災地の常識、避難所の常識に囲まれて、「被害に悲しみ、支援に感謝し、大人に迷惑をかけない、いい子」を演じていた子供たちが、小野寺に水を向けられて、心の奥に抱える苦しみを吐きだしていきます。

「“ゲンパツ”が来た!」
福島原子力発電所に勤める父親を持つ転校生が、「ゲンパツ」とあだ名をつけられてイジめられるという事件が発生。しかし、イジめた側にも理由がありました。都合の悪いことを隠しても、子供たちはその気配を感じ取ってしまうのですね。

「さくら」
学校からの避難の最中に教え子を亡くした若い教師。彼女を執拗に取材するマスコミの狙いと、教育委員会が隠した真実とは何なのでしょうか。非難されているのは、美談や悲劇や責任の所在を求める風潮です。

「小さな親切、大きな……」
軋轢は、ボランティアと地元の人の間でも発生します。阪神淡路大震災の時には、身勝手なボランティアを叱り飛ばした小野寺ですが、再会したかつての教え子には驚かされてしまいます。

「忘れないで」
「記憶の風化」は問題視されますが、被災者には忘れたいこともあるのです。震災をどう記憶にとどめるのか。小野寺は、阪神淡路大震災で妻子を亡くした過去と向かい合い、自問するのです。

「てんでんこ」
小野寺が担任を受け持った生徒たちの卒業が近づいてきました。卒業制作をどうするかという議論が起きている中で、失われたと思われていた二宮金次郎の像が発見されます。子供たちが決めた卒業制作のテーマに、大人たちは反対するのですが・・。

全編を通じて、あまりにも魅力的な校長先生が、いい味を出しています。問題提起者の意見を組んで、さまざまな立場の反対者を納得させ、大人としての責任の取り方を示していく者の必要性が光るのです。それは同時に、現実世界でそういう者が少ないことを、指摘しているのでしょう。

2016/6