りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

海は見えるか(真山仁)

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神戸から応援教師として東北に赴任してきた小野寺が、被災地の子供たちと正面から向き合うそして、星の輝く夜がくるの続編です。正解があるわけでもなく、放置されたままの問題も多い中で、子供たちはどう生きているのでしょう。

「それでも、夜は明ける」
1年間の応援赴任期間の終了後、神戸に戻るか、遠間に残るか迷っている小野寺の背中を押したのは、やはり子供たちでした。しかも、友人たちと一緒に卒業したいという少年を預かることになってしまいます。

「便りがないのは・・」
兄の遺体を捜し出し、洗浄してくれた若い自衛隊員との文通に励まされていた少女でしたが、彼が音信不通になってしまいました。小野寺はその自衛隊員との面会を依頼するのですが・・。大震災で心を病んだ者は、直接の被害者だけではないのです。

「雨降って地固まる?」
阪神淡路大震災のときも、PTSDの発症は2年目が多かったようです。突然教室から雨の中に飛び出した少年に無関心だった担任と、小野寺は衝突してしまいます。人格者の前校長がいいタイミングで再登場してくれました。

「白球を追って」
地元が期待する少年野球チームの中心になっている兄弟が、父親の仕事の関係で転校するというのです。それぞれの事情を知った小野寺は悩むのですが、そんな必要はありませんでした。子供たちは、気持ちよく兄弟を送り出してくれました。

「海は見えるか」
巨大な防潮堤を建設するのか。それとも砂浜と松林を復活させるのか。難しい選択であり、著者は安易に答えを出すことはしませんが、高圧的な対応には反感を抱かざるをえません。子供たちだって郷土の未来を真剣に考えているのです。

「砂の海」
医師の問題。遅すぎる復興。不満と我慢のバランスは、大人にだって難しいものです。PTSDも時が癒してくれるのを待つしかありません。

「戻る場所はありや」
応援教師の2年目を終えた小野寺は、東北の子供たちと向き合っていく覚悟を持つものの、その前にしなくてはいけないことがあるのです。彼自身の問題として、阪神淡路大震災で妻子を失い、当時の子供たちをフォローできなかった過去と決着をつけないといけないのです。

2011年3月11日から6年以上たちました。当時の小学校6年生は、すでに高校生ですね。彼らは、将来にどのような希望を抱いているのでしょう。

2017/7