りぼんの読書ノート

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吸血鬼(佐藤亜紀)

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近隣3国によって分割された19世紀のポーランド。ハプスブルグ帝国の最貧部となったガリツィアに派遣された新任役人のヘルマン・ゲスラーは、かつて詩人としても知られた領主のアダム・クワルスキと対峙します。しかしクワルスキは、ポーランド独立を夢想するロマン主義者だったのです。

その一方、村では次々と怪死事件が発生。ゲスラーの若い妻エルザも流産で命を落とすに至ります。その凶兆を祓うために死体の首を切り落とすという陰惨な慣習が行われるのですが、ではその凶兆とは何のことなのか。クワルスキは、「この辺で信じられているのは、美女でも美男子でもなく、最初は形がなく、血を吸うに連れて次第に人の形を整える」ものだと言うのです。

では、それはいったい何者なのでしょう。本書における吸血鬼のひとりは、クワルスキ自身であると名指しされています。彼が夢想するポーランド独立とは、貴族や領主たちのためのものにすぎず、その犠牲になる百姓たちの血を吸い取って太るのと一緒にすぎないのだと。

しかし。それだけではありません。蜂起の夢破れて命を絶ったクワルスキに替わって、村での実権を握った農民上がりの妻ウツィアは、むしろ夫を破滅に追い込んだかのようなのです。そして、そのウツィアと手を組むことにしたゲスラーもまた、吸血鬼にと変貌を遂げていくのでしょう。本書は、ルテニア人農民によって1000人のポーランド貴族が殺害された、1846年の「ガリツィア虐殺事件」の前夜を描いた作品なのでしょうから。

佐藤さんの作品は、やはり素晴らしいですね。冗長な説明をいっさい排除して、簡潔ながら濃密な文章で構成されており、皆川博子さんが「帯」で絶賛しているのも頷けます。文句なしに、今月の第1位でしょう。

2016/4