りぼんの読書ノート

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低地(ジュンパ・ラヒリ)

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その名にちなんで以来、10年ぶりとなる第2長編は、やはりインドに生まれてアメリカで暮らすようになった移民の物語でした。

カルカッタ郊外の低地で生まれ育った、内向的な兄スバシュと活発な弟ウダヤンは、1歳違いながら双子のように仲良く育ち、優秀な成績で進学。しかし、世界中で学生運動の嵐が吹き荒れた1960年代の大学で、2人の運命は大きく隔たっていきます。過激な地下活動に身を投じたウダヤンは、身重の妻ガウリを残して、自宅近くの低湿地で警察に射殺されてしまうのです。研究環境を求めてアメリカに留学していたスバシュが、ガウリと結婚してアメリカに連れ帰ったのは、彼女への同情からなのでしょうか。

これだけでも重い内容ですが、本書のテーマは、むしろここから始まるのです。やがて生まれたウダヤンの忘れ形見である娘ベラに、惜しみない愛情を注ぐ義父スバシュと対照的に、実母のガウリは愛情を感じられません。善悪も好悪も超越したかのように淡々と綴られる、3人家族の生活の重苦しさは、大学院で哲学を学んでいたガウリの突然の出奔で断ち切られます。カリフォルニアの大学に職を得たガウリは、夫と娘を置いて家を出ていくのです。

そこだけでもまた重い内容ですが、著者はまだ読者を楽にしてくれません。成長したベラの視点で語られる終盤と、ガウリがベラと再会を果たす最終盤の物語は、自由を求めて生きることの苦しさに満ちているようです。そこで明らかにされる数十年前のウダヤンの行動は、この展開に呼応しているのか。新たな展開を促しているのか。

ラストの解釈も別れるのでしょう。優れた小説は、人生と同じで、一筋縄ではいかないようです。類型的な展開に陥ることなく、表層的な感情に囚われることなく、それでいて読者の関心を掴んで離さない著者の筆力には、恐ろしさすら感じます。

2015/2