りぼんの読書ノート

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あの本は読まれているか(ラーラ・プレスコット)

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まだ11月ですが、今年のベスト本の第一候補です。タイトルの「あの本」とは、『ドクトル・ジバゴ』のこと。著者のボリス・パステルナークにノーベル文学賞をもたらした名作は1957年にイタリアで、次いで世界18カ国で出版されたものの、ソ連では1988年まで出版禁止だったことが知られています。なんとCIAが、この作品をソ連国内に流布させる特殊作戦を行っていたというのです。

 

ドクトル・ジバゴ』を読んだ時には、運命に翻弄されたユーリーとラーラの愛の物語という印象が強かったのですが、もちろんその背景には革命によって生まれた抑圧的な体制への批判精神が流れています。しかしこんな分厚い書物をプロパガンダとして用いようとする発想など、今では考えられないこと。禁書の原稿が国外に持ち出された過程やCIAによる流布作戦はスパイ小説を地で行くものですが、「文学が世界を変える」という信念こそが本書の醍醐味ですね。

 

もうひとつのテーマは、この作戦を陰で支えた女性たちの存在です。アメリカ側では、この作戦を指揮した美貌のベテランスパイのサリーと、タイピストから抜擢されて現場要員に抜擢されたロシア2世のイリーナ。この2人は著者の創作でしょうが、作戦の陰で秘密を守り続けた多くのタイピストたちは実在しています。彼女たちは才媛であるのに、傲慢な男たちの下で差別やセクハラを受けつつも、誇りを失うことなく黙々と作戦を支え続けます。その様子は、NASAアポロ計画を支えた女性たちを描いた映画「ドリーム」や、そのカリフォルニア版の小説『ロケットガールの誕生(ナタリア・ホルト)』と同種のもの。

 

そしてソ連側では、パステルナークの愛人でラーラのモデルといわれるオリガ・イヴィンスカヤ。事実上の伴侶であり、パステルナークに代わって2度も収容所に収監され、それでも彼と彼の作品を守り抜いた強い女性です。小説内のラーラは忘れ去られて消えていきますが、そのモデルとなった実在のオリガは人々の記憶の中に留まり続けています。パステルナークとの書簡集や回想記に加えて、本書もまたその役に立つことでしょう。ちなみに著者の名前ラーラとは、「ドクトル・ジバゴ」のファンだった母親に名付けられた本名だそうです。ここにも運命の奇遇さを感じます。

 

2020/11