りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

許されざる者(辻原登)

イメージ 1

19世紀の「本格文学」を意識したスタイルで、紀州・熊野を舞台にして日露戦争前後の時代を描いた作品です。主人公は、海外で学んだ優秀な医師の槇隆光。貧者からは治療費を取らずに「毒取ル(ドクトル)」と慕われ、町に新しい思想を持ち込み、西洋料理の腕をふるって洋食の普及に努め、宗教家や実業家や任侠家との交友関係を持つ、地元のヒーロー的な存在。

本書の芯になる物語は、アンナ・カレーニナを彷彿とさせる不倫です。元藩主の長男である永野少佐の美しく気高い夫人と、ドクトル槇は互いに惹かれあうのですが、姦通罪のある時代のこと、不倫に走るには覚悟が必要なのです。やがて日露戦争が始まり、3人の関係は大きく動き出します。

その日露戦争を巡る群像劇が、本書のもうひとつの物語。坂の上の雲を意識したであろう著者は、従軍兵士や市井の生活者の目線から戦争を描いていきます。永野少佐や徴兵された者たちはもちろん、ドクトル槇も軍医として従軍。当時の軍を悩ませた脚気の解決をめぐって、軍医総監の森林太郎と対峙させたりもしています。

「本格文学」ですから、物語は大きく膨らみます。ドクトルの姪で、広大な山林を相続した若くて美しい西千春。ドクトルの甥で、結核に苦しむ建築家の若林勉。地元新聞社の女流記者で左派論客の左巴君江と金子スガ。実業家・小林一三の若き日を思わせる上林青年。この時代ならではの「時計のネジ巻き屋」や「ガス燈の点燈夫」。紀州犬のブラウニーと、ドクトルの愛馬ホイッスル。さらに実名で登場する人々も絡む炭鉱事故や、花街創設や、鉄道開設や、争議などの物語群が、大きなうねりとなって、大団円へと結びついていくのです。

タイトルの「許されざる者」とは、姦通者なのか、大逆者なのか、国家権力なのか、帝国主義なのか。著者は、このタイトルを「逆説的なもの」であり、「許されざる者などいない」と語っていますが・・。

ところで、主人公の「ドクトル槇」にはモデルがいるとのこと。紀州新宮市出身の医師で社会主義思想を持ち、大逆事件の際に幸徳秋水らとともに死罪となった「大石誠之助」という人物です。もちろん人妻との不倫をはじめとする小説的なエピソードはフィクションではあるものの、「略歴」はほぼ一緒です。

2016/5