りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

覚悟の人(佐藤雅美)

f:id:wakiabc:20201012143342j:plain

群馬県の富岡を訪れた際に、富岡製糸場の生みの親として小栗上野介が賞賛されていました。慶応4年(1868年)に官軍に殺害された小栗は、明治政府によって設立された製糸場には直接関係していないのですが、幕末にフランスからの技術導入によって横須賀製鉄所を建設したことが、後の製糸場建設に結びついたというのです。本書は、日本近代化の礎を築いて、後に司馬遼太郎から「明治の父」とまで評価されることになる小栗上野介忠順の評伝です。

 

早くから文武の才を評価されて17歳にして両御番に抜擢された小栗が日本の近代化を意識するようになったのは、異国船に対処する詰警備役を命じられた際の無力感からだったようです。33歳の時に遣米使節目付として渡米した際には、通貨の交換比率見直しを求めて対外交渉の才を発揮しますが、この時には成果を出すに至りませんでした。

 

帰国後は外国奉行に任じられ、ロシア軍艦による対馬占領事件の処理などに当たりますが、彼が本領を発揮したのは勘定奉行となってからでしょう。駐日フランス公使ロッシュとの関係を深めて、先述の横須賀製鉄所の建設や、横浜仏蘭西語伝習所の設立、兵器の国産化フランス軍事顧問団の招聘による幕府陸軍の近代化などの政策を次々に実現させていくのです。幕末時の幕府陸海軍の実力は官軍を凌駕していたとの説もありますが、徳川慶喜の恭順方針によって小栗は罷免され、領地の上野国群馬郡権田村に隠棲していたところを、官軍によって捕縛・惨殺されて最期を迎えました。

 

小栗がフランスとの結びつきを深めたのは、消去法だったようです。修好通商条約を結んだ5カ国の中で、誤った通貨交換比率を改めずにハリスの不正蓄財を許したアメリカ、生麦事件で追剥同然の振る舞いをして国家歳入の5%にものぼる賠償金をふんだくったイギリス、領土的野心を隠そうともしない虎狼の国ロシア、すでに小国になり果てたオランダを除外してフランスが残ったとのこと。それに加えて、幕府に肩入れしてほぼ1年分の幕府歳入に相当する600万ドルの借款計画を立案したロッシュが信頼に足る人物であったわけです。もっともナポレオン3世治下のフランスでは、メキシコ干渉やルクセンブルク領有などの失敗によって外交政策が消極的になり、最終的には本国で借款は否認されてしまったのですが。

 

幕末の日本が欧米列強による植民地化を免れた理由として、地政学的、文化的、人的要件などが挙げられますが、小栗のように経済・外交に明るい人物が現れたこともそのひとつでしょう。「小栗の政策が完遂されていたら日本はフランスの植民地となっていた」というのは、小栗の仇敵であった勝海舟が後に喧伝したデマであると著者は言い切っています。

 

2020/11