幸福な家族と順調な仕事に恵まれているリックは、妻子が自動車事故にあう予感に襲われて現場に急行したものの、無残にひしゃげた車の中で愛妻のアンは息を引き取ろうとしていました。しかし、気がつくと妻は無事であり、事故にあったのは自分自身だったのです。しかも、自分の意識はリチャードなる別の人物と同居しているのです。
ディック的な悪夢世界ですが、リチャードなる人物は、リックと微妙に異なる人生を歩んでいる自分自身だということが徐々にわかってきます。しかもこの世界では、リックがいた世界とは異なって、長命を誇っているケネディは暗殺されており、レーガンなる二流役者が大統領になっているではありませんか。どうやらリックはパラレル・ワールドに陥ってしまったようなのです。
必死に「真実」を訴えるリックは、もちろん正気扱いされません。病院に監禁され、夫に絶望したアンは、親友の弁護士ハロルドと不倫。ますます耐えがたくなってきた「この世界」を離れて「もとの世界」に戻る手段は、ただひとつ。「分岐」となった過去まで戻ってやり直すこと。リックは、盲目の精神科医エマ・トッドによる催眠療法に賭けるのですが・・。
エマ・トッドの手記によって終わる本書は、催眠療法中に急死してしまったリチャードの身体を離れてリックが「飛翔」に成功したかのようです。しかし読者は、もうひとつの解釈、すなわちリックなる存在が統合失調症によるリチャードの妄想にすぎないという可能性が潜んでいることを忘れるわけにはいきません。私たちが生きている世界は、リチャードと同じ世界なのですから。
2014/1