りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

私小説 from left to right(水村美苗)

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家族とともに12歳で渡米し、ボストンの大学院生として滞在20年目を向かえた「美苗」が、ニューヨークに住む姉「奈苗」との長電話で、異国に住む孤独を語り合います。

姉妹の家庭は既に崩壊しています。日本企業の米国駐在員から現地採用への切り替えてまでしてアメリカ永住を果たした父親は、病を得て入院。視力を失い、意識すらはっきりしない状態です。母親は不倫の末にシンガポールへと駆け落ち。望んで来たわけではない異国に、姉と2人で残されてしまった状態なんですね。

和文と英文を交えて「私小説」的に書かれる物語には、成長期にあった姉妹が異国で感じた違和感がみっしりと詰め込まれます。上手に言葉が操れない不安、「collored」と呼ばれて東洋人への差別を意識した衝撃、早熟で自己主張の強い同級生たち・・。アメリカ人の生活に溶け込もうとして実りのない努力をした姉と、日本文学の世界に没頭してアメリカから距離をとろうとした妹。

しかし姉妹にとっては、日本もまた「異国」なのです。既に「HOME」もなく、「帰国子女」というには長くアメリカに居過ぎて恋人もいない30代前半の独身女性にとって、「いかにも薄っぺらい国」である日本は帰るべき国と呼べるのか。これこそが本書の主題なんですね。

ユダヤ人である教員のMadame Ellmanの「Home is not a place to return to」という言葉に対峙して、美苗が「Home country is a place to return to」と意識するに至るには、何が必要だったのか。そして「圧倒的な普遍語」である英語ではなく、「その他の現地語」にすぎない「日本語で書く」という決意はどのように生れたのか。本書は「ひとりの日本語作家」が誕生する物語だったのです。

ところで小説内で「殿」と呼ばれている「帰国してしまった日本人男性」とは、現在のご主人である経済学者の岩井克人さんですよね。当時はまだ恋人でもなかったようですが、彼と結婚に至った過程が小説化されることはないのでしょうか。

2013/4