りぼんの読書ノート

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カブールの園(宮内悠介)

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言語を介さないとコミュニケーションは成り立たないものなのでしょうか。本書に収録されている2編の中編はどちらもアメリカを舞台にしており、日系人と言語の問題が取り扱われています。そしてそこには、4歳から12歳までニューヨークで暮らしたという著者の体験も反映されているようです。

 

表題作「カブールの園」の主人公は、日系3世で女性プログラマーの玲。ITベンチャーの創業者仲間の一員という華々しい職業とはうらはらに、太っていた小学校時代に「豚」と虐められた記憶や、日系2世の母との関係に苦しみ、VRを用いたPTSD治療を受けています。上司にも精神的疲労を感づかれて強制的に休暇を取らされた玲は、予定していたヨセミテを超えてマンザナー収容所に向かいます。彼女はそこで異国における日系人の「伝承されなかった文芸」の存在を知るのですが・・。「世代の最良の精神」に、私たちの手が届くことはあるのでしょうか。2016年に芥川賞候補となった作品です。

 

初期の作品である「半地下」は、日本に戻って英語も忘れかけている男子学生の主人公が、アメリカで亡くなった姉の人生を回想する物語。父親に失踪され、弟を養うためにエンターテインメント性の高いプロレス団体に入り、移民孤児の凶悪なキャラクターを装った末に脳を負傷して亡くなった姉は、自分のアイデンティティを失っていたのでしょうか。死を前にして言葉を失いつつあると自覚することも、構造的に両立しえない2つの言語による思考を共存させようとする努力も、どちらも同じように残酷なことなのかこしれません。

 

2020/10