りぼんの読書ノート

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金閣寺(三島由紀夫)

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60年近く前の1956年に出版された小説ですが、いまだに輝きを失っていない作品です。吃音というコンプレックスを抱えて育った青年・溝口が、完璧な美の象徴と思い描いていた「金閣」を「焼かねばならぬ」と思い込み、行動に移すに至った理由は何だったのでしょう。「狂人の夢想」としか思えない出来事を、読み進めるに連れて「必然」とまで思わされてしまうのは、圧倒的な論理の積み重ねによるものなのか。それとも硬質で精緻な文体のせいなのか。

 

金閣もろともに空襲で焼け死ぬかもしれないとの耽美的な思いは終戦によって消え去り、溝口にとって金閣は愛憎半ばする存在になっていきます。少年時代に憧れた美しい女性・有為子から突き放されて彼女の死を願った気持ちや、陰画である溝口には陽画とまで思えた鶴川の自殺の原因を知った失望や、偉大な存在として憧憬していた老師の凡庸さを知った哀しさが、溝口の金閣への愛憎を増幅させていきます。

 

悪魔的な観察眼と卑劣さを併せ持つ同学の柏木との対話は、カラマーゾフの兄弟の「大審問官」を髣髴とさせるほど緊張感に満ちています。「世界を変革するのは認識だ」という柏木に対し、「世界を変革するのは破壊だ」と応酬した溝口は、もはや行き着くところまで行かざるをえません。

 

本書は「敗戦によって頼るべきものを失った日本人にとって、金閣をはじめとする自国の美的伝統は、自信回復のためのの手掛りであると同時に内的呪縛の象徴」でもあり、「日本的伝統に対する愛憎共存の微妙なアンビヴァレンス」を鮮やかに小説化した作品であると解説されています。もちろんそれは正当な解釈です。しかし戦後70年近くも経ってなお、本書が新しい世代の読者にも読み継がれているのは、それだけではありませんね。「有限の生」に縛られている人間が「無限ながら虚無的な究極の美」に対して感じる「愛憎」という普遍的なテーマを含んでいるということなのでしょう。

 

2013/3再読