りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

エコー・メイカー(リチャード・パワーズ)

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脳というものは機能が分散されたモジュールではなく、各機能を司る箇所が損傷を受けても、別の箇所がそれを補おうとするとのことです。とはいえ失われた機能が完全に復元できるものではなく、その過程でさまざまな歪みがあらわえて来ざるを得ません。本書の主題となっている「カプグラ症候群」もそのひとつ。

「カプグラ症候群」とは、親しい人を偽物と思い込んでしまう症例のこと。親しい人を認識しても共感できないという損傷を受けた脳が、「自我の整合性」を保とうとして、その人は偽者ではないかというフィクションを作り上げてしまうという症状。

本書では交通事故で脳を損傷した弟のマークから、姉のカリンが偽者呼ばわりされてしまいます。脳が作り上げた迷宮をさまよう姉弟に出口は見えてくるのでしょうか。一方で、マークが思い出せない事故の真相とは何だったのか。献身的で有能すぎる介護士のバーバラの正体は何なのか。ネブラスカ州の鶴の町・カーニーで何が起きているのか。一見バラバラに見えるさまざまな事柄が、エンディングに向けてひとつに結びついていきます。

姉カリンと並ぶ本書のもうひとりの主人公は、高名な認知神経科学者であるウェーバーです。マークの症例を研究に来たウェーバーは、自分の著作が患者をネタにしたものにすぎないとの批判を受けて悩むのですが、彼もまた自分の脳が作り出す妄想と虚構の中に陥ってしまうかのようです。

本書で描かれるマークやウェーバーの状況は、9.11以降のアメリカと重なってきます。損傷を受けたアメリカは、自己復元の過程で「ある虚構」を作り上げて信奉することによって繋がりを見つけ出し、やっとのことで自らの整合性や正当性を保ったということなのでしょうか。

そして、病室に残されていた謎の紙片の意味が明らかになった時に、大きな感動が生まれてきます。こんなに難解なテーマで書き綴っておきながら感動を呼び起こす作品に仕上げるというのですから、さすがに現代のアメリカ文学を代表する作家ですね。しかし、感動するというのも脳の働きのひとつと思えば、決して不思議なことではないのかもしれません。そういえばガラテイア2.2も、本書に近いテーマの作品でした。

2013/1