りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

可笑しい愛(ミラン・クンデラ)

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旧題『微笑を誘う愛の物語』の決定版とされたフランス語版からの新訳です。「プラハの春」以前の1959年から63年に書かれた初期の短編集なのですが、その後何度も手を入れたとのことですので、時代性は後景に退いています。その分「政治的不条理と自己同一性の喪失」や「叙情的愛の信奉と遊戯的愛の変転」など、著者独特のユーモアとアイロニーが色濃く出ているように思えます。

「だれも笑おうとはしない」
執拗に駄作論文の評価を求める男から逃げ続けたために、職業も女も失う男の物語。ただの冗談のつもりで始めたことから足元の地盤が崩れていくのですが、女を守るために罪を引き受けたことが、女を失う原因となるのは皮肉なものです。

「永遠の地獄という黄金の林檎」
名人級のテクニックと枯渇しないエネルギーで女性をナンパし続けることを至上の喜びとしていた男が陥ったのは、架空の女性に対して恋心を抱いてしまうという罠でした。

ヒッチハイクごっこ
念願の休暇をとって旅に出た男女が、エロティックで奇妙な遊戯にはまり込んでいきます。娼婦のように振舞ってしまった貞節な娘が得たものと失ったものとは?

「シンポジウム」
ハヴェル先生を中心とする5人の男女が、病院の当直室でワインを飲みながら性愛談義を繰り広げます。なぜ誰にも手を出すハヴェル先生は看護師のアンジェリカに迫らないのか。会話の後でアンジェリカは自殺未遂をしたのか。愛には常に「偽善と自負」がつきまとう?

「老いた死者は若い死者に場所を譲れ」
15年ぶりに出会った年上の女との逢瀬は、男と女の双方に何をもたらすのでしょう。過去の記憶と現在の事実のどちらが重要なのでしょうか。

「ハヴェル先生の二十年後」
若い有名女優を妻にしたものの今や老いて病んだハヴェル先生が、若いジャーナリストや湯治場の女性たちを相手に、ほろ苦いドン・ファンぶりを繰り広げます。ハヴェル先生は「女のコレクターではなく言葉のコレクター」だったのですね。

エドワルドと神」
小さな町の教師となった若者が、信心深い美しい娘を誘惑しようとして不条理に直面します。若者は神を信じる振りをして娘も、女校長の信頼も得るのですが、本当に神を信じるようになると全てを失ってしまい・・。

この短編集に登場する人物たちは、後の長編の主人公の原型ですね。『存在の耐えられない軽さ』のトマーシュ、『冗談』のルドヴィーク、『不滅』のルーベンス、『生は彼方に』のヤロミールらは、すでに本書の中にいるのです。

2012/8再読