りぼんの読書ノート

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存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)

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日本では小説よりも先に映画で有名になった作品ですが、本書は、いきなり読者を身構えさせてしまいますね。「永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐え難い責任の重さがある」とするニーチェ哲学に対して、「たった1回限りの人生の限りない軽さは本当に耐え難いのだろうか」とのアンチテーゼを投げかけた上で、「本当に重さは恐ろしく、軽さは美しいのだろうか?」と読者に問いかけてくるのですから。

また、共産主義政権下のチェコスロバキア言論の自由を求めたが故に著作は発禁処分を受け、国籍を剥奪され、フランスに亡命を余儀なくされたとの著者の経歴を思うと、「プラハの春」とその崩壊後の時期を背景とした本書は、いかにも政治的なメッセージを含んでいるように思わざるをえません。事実、本書に登場する2人の女性、テレザとサビナは、それぞれチェコと西欧を体現する存在であるかのような解説も、数多く存在します。

しかし本書の本質は、男女間の愛情の機微を歌い上げた「恋愛小説」なのでしょう。田舎のウェイトレスであったテレザが、たった一度逢っただけの優秀な外科医トマーシュのところに押しかけて責任を感じさせ、それでも浮気男のトマーシュはサビナをはじめとする愛人たちと別れられず、プラハの春の後3人は国外に出たものの、外国暮らしに馴染めずチェコに戻ってしまったテレザの後を今度はトマーシュがを追いかけ、やがて2人ともチェコの田舎に埋もれたまま事故死してしまう物語。

しかし2人の人生は不幸だったのか・・と本書は訴えるのです。男は女の、女は男の重荷を受け入れることによって、強烈な生の成就感を達成できるのではないか・・と。逆に重荷を失ってしまって自由になればなるほど、その動きは無意味になってしまうのではないか・・と。人生をともに過ごすという形で相手を束縛することの意味を問いかける小説といったら、これはもう「恋愛小説そのもの」じゃないですか。

著者は、小説を「反叙情的な詩」ととらえている作家なのですし、ね。^^

2012/8