りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

望月のあと(森谷明子)

イメージ 1

源氏物語の幻の第2帖「かかやく日の宮」が失われた理由をロマンティックに推理した千年の黙と、紫式部日記がつまらない理由に大胆に迫った白の祝宴に続く本書は、「玉蔓10帖」と、源氏物語の転換点となった「若菜」が書かれた背景に挑みます。

玉蔓とは源氏ともかつて思いを寄せたものの若くして亡くなった夕顔が、頭の中将との間にもうけた娘です。長らく筑紫で暮らした後に上京し、源氏の眼にもとまるのですが、結局は髭黒の中将というつまらない男に嫁いでしまうのです。

著者は玉蔓の幼名・瑠璃姫を、実在した道長の姪として登場させます。紫式部が「玉蔓10帖」を短期間で一気に書き上げた目的は、瑠璃姫を囲おうとする道長をたしなめる目的があったというのですが・・。瑠璃姫は幼馴染みの地方官に嫁いでいきます。

しかし本書の中核は、道長のもとから離れて「若菜」を綴り始める式部の心情でしょう。道長の3人の娘がそれぞれ彰子太皇太后、研子皇太后、威子皇后となった三后独占の祝宴で詠まれたと伝えられる「望月の和歌」に道長自身は鼻白みますが、望月はやがて欠けていく運命にあります。天皇東宮を思うままにすげかえた道長の驕りがやがてもたらすものに、式部は気づいてしまったんですね。

「若菜」の上巻で天皇の娘・女三宮の降嫁を受けて正妻とし、実の娘の明石の女御が男子を出産して東宮外戚となり、栄華を極めた源氏の運命は、下巻になって暗転していきます。最愛の紫の上は病に罹って出家を望み、女三宮は若造の柏木と密通して不義の子・薫を懐妊。源氏がたいせつにしていたものが、ひとつひとつ奪われていくのですから。

妹のように愛していた彰子への仕えも辞し、独立した作家として「書きたいものを書く」と決意した式部は、自分の作り上げた世界を自分の手で壊していくのです。

さらには、道長も望むであろう「栄光に包まれたままの安らかな往生」の物語で源氏の生涯を締めくくった「雲隠」を書きあげ、道長に読ませて満足させた後で焼き捨てるという荒業まで演じてしまうのですから徹底しています。「雲隠」はタイトルのみの巻として伝わることに・・。

長く式部に仕えた阿手木を夫の武人・義清とともに大宰府に赴任させ、地方官の妻になって生き生きと暮らす瑠璃姫と再会させるラストは、表面上は華やかな都の貴族の権勢に対する、地方と庶民の力の台頭を象徴しているのでしょう。式部は「庶民派」になったのか・・。著者には「宇治十帖」の構想もあるとのこと。楽しみです。

2012/3