『ハイウェイとゴミ溜め』に、「英語で書いていること自体が、自分が英語の世界どころかどこにも属さないことを裏切っている」とのキューバ詩人の言葉が引用されていましたが、スパニッシュや世界のオタク文化の言葉を散りばめながら、祖国ドミニカの過去の呪縛を振り切ろうとした青年の人生を描いた本書こそ、著者が書きたかった作品なのでしょう。
「指輪物語」や「スターウォーズ」や「アキラ」の悪役に例えられる独裁者トルヒーヨの悪政の犠牲となった祖父アベラード医師と、いったんは孤児の境遇から救い出されながら、禁断の恋と男の裏切りにあってドミニカから脱出せざるをえなくなった母ベリシアを持つ、太めでモテないオタク青年オスカーの人生は、悲劇的ではあるものの、ニューヒーローの誕生すら思わせてくれるのですから、これは奇跡です。
本書はまた、バルガス・リョサの『チボの狂宴』に対するアンチテーゼにもなっています。独裁国家の国民にとっては、独裁者の老年の心境とか、後継者が「多少マシ」なんてことは関係ないのでしょう。隣人や家族も密告者となる社会では、独裁者がダース・ベーダーやサウロンのように「全知全能」の者としてふるまえることが、真の悲劇なのですから。
本書の日本語訳は、「おそらく世界で唯一の、全部が理解できる版」だそうです。原書では非英語の単語やスラングも多く使われ、オタク用語にも脚注がないとのこと。丁寧な訳注には助かりました。でも、本書を読む醍醐味が一部失われたのかも?
初めて訪れたドミニカで出会った年上の娼婦イボンに恋したオスカーは、人生ではじめて女性との交際にチャレンジするのですが、案の定、権力者と繋がりがあるいうヒモが現れ、叩きのめされてしまいます。敗北が運命付けられている戦いに挑むオスカーは、SFやファンタジーの主人公のように奇跡を起こすことが出来るのでしょうか。それとも・・。
2011/8