りぼんの読書ノート

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パニックの手(ジョナサン・キャロル)

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もともとは一冊の短編集が、『黒いカクテル』と本書とに分割されて出版されたものです。それぞれの短編が書かれた時期については未確認ですが、本書に収められた作品のほうが、日常が突然暗転するキャロルの長編の感覚に近い味わいを感じられるようです。

フィドルヘッド氏」長編『雲に浮かぶ子供』の作中作。友人の空想の中で作られた男が消えないよう、作り主を不幸にするよう誘う女の心情が不気味でもあり、哀れでもあり・・。

「おやおや町」新しく雇った家政婦は神の1/36(こんな設定、他の作品にもありました)。後継者に選ばれたという男は不思議な体験をするのですが、後継者は彼ではなかったのです。

「友の最良の人間」フレンドという名の犬を救って片足を失った男は、犬と会話できる少女と出会います。動物と友達になった恩典は何だったのでしょう?

「細部の悲しさ」女性が過去に描いたスケッチを求める不思議な男の真意は?優れた芸術家は奇跡的に、神の部分的な姿を表現してしまうことがあるというのですが・・。

「きみを四分の一過ぎて」妻が想像する男を作り出そうとする夫は不気味です。これは「フィドルヘッド氏」の逆パターン?

「ぼくのズーンデル」吸血鬼を探し出す能力を持った犬を預かった男が見たものは、自分が吸血鬼であることを意識していない人間であふれている世界でした。

「去ることを学んで」人の秘密を見つけることは、その人を死に向かって歩み出させること。永遠に聞き手でしかない男は、巧みな語り手である女に全てを知られているのですが・・。

「パニックの手」列車で出会った美女は、娘とおぼしき少女が作り出した幻なのでしょうか。少女が不幸のあまり自ら作り出した完璧な女性像には欠点もあるのですが・・。この作品も「想像力が実在化する」著者得意のパターンに属します。

他には、死病にかかった男が高価な服を買うところから物語りが始まる「秋物コレクション」。彼女を失ってあてもなく散歩する男が釣師が手をふる瞬間を待つ「手を振る時を」。永遠に同じ映画を見続る地獄を選んだ男の悲劇、ジェーン・フォンダの部屋」

2011/6