りぼんの読書ノート

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歌うクジラ(村上龍)

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2022年、ハワイの海底で発見されたグレゴリオ聖歌を歌うザトウクジラから、不老不死の遺伝子が抽出されてから100年後の日本では、最上層の人間のみが長寿を手に入れ、中下層の人間や移民たちは国家によって分断されて生活する「究極の棲み分け」が進行していました。

性犯罪者とその子孫の隔離場所として作られた「新出島」は、最下層の人間が棲息する場所。そこでデータ管理者だった父親を処刑された少年アキラは、不老不死の遺伝子の秘密を収めたマイクロチップを支配層のある人物に届けるという使命を帯びて、島を脱出します。

彼が出会うのは、もはや人間とも言えない体内から毒液を分泌する男や、反乱移民の子孫たち。国家権力によって中世の「ムラ」のように隔離された世界では、移動の自由はもちろんのこと、情報すら遮断されていて、暴力とセックスが支配する「無法地帯」となっているのです。では中下層階級を切り離した「最上層」は「理想社会」だったのでしょうか。「理想社会」がどのように「地獄」へと変貌していったのか、村上さんの筆が冴え渡ります。

「言葉の問題」も提起されます。伝統や文化を否定した「文化経済効率化運動」によって日本語から敬語が消滅した世界の中で、アキラは数少ない「敬語使い」であり、その能力が彼を生き延びさせてゆくのですが、それは「自意識」を保ち続けていることを象徴しているかのよう。

反乱移民の子孫たちは「日本国家への不服従の象徴」として助詞の乱れた日本語を意図的に用い、従順に労働するだけの「中流階級」の者たちは、物事を断言する表現を失って「~だろう」を重ねる貧しい言葉を用いているというあたりは、どちらもすでに萌芽を感じるだけに怖ろしい。

宇宙空間に逃れずに「地獄」を見続けている最上層の女性サツキは、こう言います。人間が支配も制御もできなかったものは、取り戻せない時間と永遠には共存できない他者であり、「悲しみ」という感情のみが、失ったものを心に刻みつけることを可能にしている」と。であるならば「不老不死=理想社会」との構図そのものが矛盾を内包しているのでしょう。

村上さんは「作家とは、人間の精神の自由と社会の公正さを意識しなければならない存在」と断言しています。本書はまさしく「作家」が生み出した「警鐘の書」です。

2011/2