りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

武士の家計簿(磯田道史)

イメージ 1

堺雅人仲間由紀恵松坂慶子中村雅俊ら、錚々たる顔ぶれで映画化された作品の原作は、なんと新書版の歴史研究書でした。茨城大学の教授である著者が古書店で見出した「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、ある武家の4代に渡る精緻な家計簿が残されていたのです。それもそのはず、文書を残した猪山家とは、金沢藩に仕えた「御算用家」、すなわち経理担当者を輩出した一族なんですね。

下級藩士の猪山家は、5代目の市信が前田家の御算用者に採用されて直参となるのですが、俸禄はわずか「切米40俵」。しかし、その後幕末まで5代に渡って御算用者を勤めあげ、7代信之の時には藩主前田斉泰と将軍家斉の娘・溶姫との婚礼を取り仕切った功によって70石の知行地を貰います。東大の赤門はその時に作られています。

さて、藩の財政を切り盛りしていた猪山家ですが、我が家の財政管理も難しかったようで、8代目の直之の時には年収の2倍にのぼる借金を抱えてしまいます。そこで一家は、家財道具を売り払って借金全額返済する大プロジェクトを決意。茶道具や、奥様の婚礼衣装などは高く売れたようですが、専門書が安かったのは悲しい・・。でも貸し手との値切り交渉もうまくいき、借金は返済できました。^^

その後も、娘のお祝いの式で「大鯛」ならぬ「絵鯛!」を出したりと倹約に励むのですが、息子・成之の教育費を削減することはなかったようです。これが功を奏したのでしょう。9代目の成之も順調にお役に就くのですが、そこで明治維新という一大事が持ち上がります。

ただ猪山家にとって幸運だったのは、成之が幕末に京都で会計係を勤めた関係で、長州藩大村益次郎の知遇を得て日本海軍の会計係となったこと。多くの旧士族が没落していく中で兵部大輔にまで出世をして高給を得続けたのは立派なものです。成之は、靖国神社の「大村益次郎」像の建立にも尽力したとのこと。

本書が映画化されたというのも頷けます。味も素っ気もない家計簿の中から、これだけの物語が浮かび上がってくるのですから。饅頭1個の購入履歴まで記していた猪山家も、それを読み解いて徳川時代の武士の貧困や、明治の動乱期での武士の処世を、まざまざと描き出した著者も、素晴らしい!

2010/12


P.S.
ついでに、印象に残ったポイントを数点記しておきます。

・冠婚葬祭や交際費など、武士の「身分費用」は高かったのですね。それに支えられていた金沢の仏閣や料理屋が立派なのも頷けます。

・武士の「知行」とは名ばかりで、実態はサラリーとなっていた点。知行地との結びつきの弱さが、スムーズに「知行廃止」が進んだ原因のようです。これは世界史的にも稀なことでしょう。例外的に武士が領地を実際に「知行」していた薩摩藩では、西南の役が起こっています。

・奥様のお産の際に大奮発して白砂糖を買ったエピソードは、微笑ましかったですね。^^