りぼんの読書ノート

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花神(司馬遼太郎)

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花神」とは「花咲爺さん」のこと。幕末動乱時代の最後に突然登場して戊辰戦争を官軍の勝利に導いた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の生涯を描いた大河小説のタイトルが、どうして「花神」なのでしょう。

それは、どうしても花を咲かせられない木というものがあり、花咲爺さんはそれを見分けることができるとの言い伝えによります。すなわち、近代合理主義の元祖ともいえる大村の後、日本に合理主義が広がっていくのですが、明治維新最大の英雄・西郷隆盛は最後までそれに染まらないであろうと見切ったとのエピソードによるようです。

戊辰戦争終結後の短い晩年に「やがて九州から足利尊氏のような存在が登場する」と読んで、後の「西南の役」に備える鎮台や武器庫、兵制を整えたのが大村だということ。いわば西郷は、既に亡くなっていた大村に敗れたようなもの・・というのが著者の主張です。

話を急ぎすぎました。長州の片田舎の百姓の子として生まれて大阪の緒方洪庵塾で医学と蘭学を学び、その知識を買われて宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩に取り立てられた村田蔵六(後の大村)は、およそ歴史の表舞台に出ることなど望めない実直な技術者にすぎませんでした。しかし、人材が払底した長州藩桂小五郎の目にとまったことから、薩長同盟における「長州の切り札」的な存在として「明治維新の最後の総仕上げをした人物」となるんですね。

世に出るまでの大村の長い修行時代を彩ったのが、シーボルトの娘「イネ」との恋愛です。この2人の関係が「プラトニック」だったのかとの関心も、著者が本書を執筆した動機のひとつだったようですが、日本を去ったシーボルトを神のように慕う門人たちに囲まれて育てられたイネの、父への思慕が、彼女を医学の道に向かわせで、医学者として尊敬する大村に惹かれたとの著者の叙述は素直に読めます。

大村は戊辰戦争集結直後に暴漢の手によって非業の死を遂げるのですが、その原因が、彼に面子を潰された薩摩藩士の恨みというあたり、今でも対人関係への政治力が重視される日本の精神的風土と重なってきます。「合理主義」だけでは「花を咲かせられない木」がたくさん残っているのでしょう。

2011/6