りぼんの読書ノート

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作家と新聞記者の対話(高村薫/藤原健)

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2006年10月からの3年間、作家の高村薫さんが、大阪毎日新聞の編集長であったジャーナリストの藤原健氏と、多面的な問題を討論した対談集です。対談が行なわれた時系列を逆にたどるような3章構成となっていますが、民主党政権の誕生直後に行われて民主党に対する「わずかな期待と大きな懸念」を述べた第一章と、自民党政権崩壊の数ヶ月前に、オバマを選択したアメリカとの比較において国家的戦略の不在を指摘した第二章は、それらが既に顕在化してしまっている現在に於いてはあまり新味を感じません。

むしろ、もろもろの事象を俎上に乗せた第三章を興味深く読みました。印象に残ったテーマについて、論点と感想を簡単に紹介しておきましょう。

「死刑制度」世情で量刑を変えていいのか?:裁判員制度は軟着陸しているようで幸いです。

「家族とは」理想が生むストレス:家族の問題は本当に難しい。離れられませんものね~。

「いじめ」暴力であり、犯罪だ:「学校教育において競争が排除されたために、発散されるべき
行き場を失ったエネルギーがいじめに向かったのではないか」との指摘には鋭さを感じました。

「都市と地方」成熟した中堅国家へ:地方がミニ東京を目指してもダメですよね。

自治体のトップ」絡む利害の調整を:システムを知らずにリーダーシップは取れませんよね。

「ネット社会」言葉も心も単純化:「言葉が短くなった結果、世界の姿も簡略化されている」との
指摘には頷けますが、その契機はウィンドウズ95なのでしょうか?「ネット革命」と「ケータイ文化」の間には、一線があるように思えます。

「新聞とは」ネット情報の匿名性に対して、顔の見える情報を:その通り!

阪神大震災13年」自分は被害にあわないという根拠のない楽観捨てよ:その通り!

憲法改憲は国民の悲願ではない:高村さんは、当時の安倍首相が唱えた「美しい国」には
戦前の価値への回帰を感じるとされています。同じ実態がない言葉でも「友愛」のほうがマシ?

最後に「若者と活字文化」について、「言葉を情報のツールとしか思っていない風潮」があることを懸念し、「世界像を形にするために言葉がある。この世界で起きているさまざまな事象を、自分できちんと説明できる言葉を持とう」としながらも「もう間に合わないかもしれない」と、高村さんは憂慮しています。

若い世代は新聞を読まなくなっているのだそうです。そういえば最近、「ニュースを簡単に解説する番組」が目立つような気がします。この現象を「誰かに解説してもらわないとわからない」ことの現われとして憂慮すべきなのか、「世界を理解したいとの欲求」として評価すべきなのか、答えが出るには時間がかかりそうです。答えが出たときには「もう間に合わないかもしれない」のですが・・。

2010/5