本書は、滝沢馬琴が老友の葛飾北斎に向けてこれから執筆しようとしている『八犬傳』の構想を語る「虚」の部分と、馬琴の実生活という「実」の部分を交互に描くことによって、「どんな実の世界から、いかなる虚の世界が紡ぎ出されたのか」を明らかにしようとする意欲作なんですね。いかにも、虚実皮膜の世界に身を置く「昭和の戯作者」山田風太朗さんにふさわしい作品です。
雄渾豪壮・波乱万丈の物語を紡ぎ出した馬琴の実の世界は、「クソ面白くもない小生活」でした。関東甲信越一帯から果ては京都までも舞台とした物語の作者でありながら、本人は安房にすら行ったこともなかったそうです。ひたすら息子・宗伯を武家のお抱え医師にすることを望む、つつましやかな生活をおくる馬琴にとっては、あくまで小説は「虚」にすぎず、生活が「実」。
彼に対峙する人物として、作品の絵こそが「実」で、生活は「虚」にすぎない北斎を配するとはあまりにもあざやかです。しかも、後半の聞き役に持ってきたのは、作品も生活も「実」である渡辺崋山であり、さらには、武士道の鏡である忠臣蔵を「虚」とあざ笑うかのような「四谷怪談」の作者である鶴屋南北まで登場させるのですから。創作者にとって、現実の生活を「実」とすることがどれほどのものなのか。読者は、「実」の世界で報われない馬琴とともに悩み始めるはずです。
ところが、です。息子・宗伯を失い、自身は盲目となって「八犬傳」の完成を諦めるしかないまでに追い込まれてから、「虚実冥合」を化現したかのような奇跡が馬琴の実生活で起こるのです。それは、息子の嫁のお路が「八犬傳」の口述筆記役を務めたこと。かな文字しか知らないお路にとって漢文書き下し文のような「八犬傳」を筆記することが、漢字の偏も作りも知らないお路に盲目の文学者が一文字ずつ教えながら筆記させることが、恐るべき難事業であったことは想像に難くありません。
著者はこれを評して「八犬伝の世界を虚の江戸神話とするなら、盲目の老作家と嫁の路との超人的聖戦こそ実の江戸神話となった」とまで述べて、本書の結びとしています。山田風太朗文学のひとつの到達点といえる作品でしょう。
2010/5
【南総里見八犬傳】
室町時代後期、安房国の城主となった里見氏は、先代城主を殺害した逆臣の愛妾・たまずさの呪詛で畜生道に落とされる運命にあったが、娘である伏姫の清浄さによって救われる。すなわち、処女懐妊した伏姫から生まれ出た8つの珠を受けた8人の犬士が大活劇の末に安房に集結し、里見家を恨む関東管領らが仕掛けた安房大戦に勝利。8犬士はそれぞれ里見家の8人の姫と結ばれ、やがては仙人となる。全ての登場人物について善人は報われ悪人は罰せられる、壮大な勧善懲悪・因果応報の物語。
室町時代後期、安房国の城主となった里見氏は、先代城主を殺害した逆臣の愛妾・たまずさの呪詛で畜生道に落とされる運命にあったが、娘である伏姫の清浄さによって救われる。すなわち、処女懐妊した伏姫から生まれ出た8つの珠を受けた8人の犬士が大活劇の末に安房に集結し、里見家を恨む関東管領らが仕掛けた安房大戦に勝利。8犬士はそれぞれ里見家の8人の姫と結ばれ、やがては仙人となる。全ての登場人物について善人は報われ悪人は罰せられる、壮大な勧善懲悪・因果応報の物語。