りぼんの読書ノート

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めくらやなぎと眠る女(村上春樹)

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象の消滅に続いてアメリカで出版された短編集の逆輸入版・第2集です。まずは、本書のイントロダクションで村上春樹さんが述べている言葉を紹介しておきましょう。
長編小説を書くことは「挑戦」であり、短編小説を書くことは「喜び」である。長編小説が「植林」であるとすれば、短編小説は「造園」であり、互いを補完し合って総合的な風景を作り上げている。
ここには、長編の萌芽や序章や背景となる物語もぎっしり詰まっていて、その関係を紐解くだけでもおもしろいのですが、ここでは作品の中で光を放っているかのような、いかにも村上さんらしい表現を書き留めておきたいと思います。

めくらやなぎと、眠る女:その午後、僕らは何を感じることもなく、そのまま別れただけだった。そしてあの丘を、めくらやなぎのはびこるままに置き去りにしてしまったのだ。

バースデイ・ガール:「あなたはもう(二十歳の誕生日の願い事を)願ってしまったのよ」と彼女は言う。私が言いたいのは、人間というのは、何を望んだところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ。

ニューヨーク炭鉱の悲劇:外ではもちろん人々は穴を掘り続けている。まるで映画の一場面のように。

飛行機:人の心というのは、深い井戸みたいなものじゃないかって思うの。何がそこにあるかはわからない。ときどきそこから浮かび上がってくるものの形から想像するしかないのよ。

鏡:ところで君たちはこの家に鏡が一枚もないことに気付いたかな。鏡を見ないで髭が剃れるようになるには結構時間がかかるんだぜ、本当の話。

我らの時代のフォークロアすべてが終わったあとで、王さまも家来たちもみんな腹を抱えておお笑いしました。僕は思うんだけど、深い悲しみにはいつもいささかの滑稽さが含まれている。

人喰い猫:ひとつの世界の末端というのはそういうものなのだ。それは、異物の領域に静かに呑み込まれていくような感覚を僕に与えた。

嘔吐1979:胃の中の何もかもが、奇術師が帽子から鳩とかうさぎとか万国旗とかを引っ張り出すみたいに、ずるずると出てきてしまうのだ。

七番目の男:何よりも怖いのは、その恐怖に背を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうのです。

スパゲティーの年に:1971年に自分たちが輸出していたものが「孤独」だったとしたら、イタリア人たちはおそらく仰天したことだろう。(個人的には、この言葉が一番好きです)

蟹:世界がいびつなまわり方をしているような感覚が、そこにはあった。彼はその音のない軋みを聞き取ることができた。とにかく、何かが起こって、世界は変化を遂げたのだ。

螢:ふと気がついた時、彼女の話は既に終わっていた。言葉の切れ端が、もぎとられたような格好で空中に浮かんでいた。正確に言えば、彼女の話は終ったわけではなかった。どこかで突然消えてしまったのだ。何かが損なわれてしまった。

最後の5編は、読んでからまだあまり間が空いていない東京奇譚集の作品ですので、ここではコメントも抜粋も省略。他には、「ハンティング・ナイフ」カンガルー日和「かいつぶり」「貧乏な叔母さんの話」トニー滝谷「とんがり焼の盛衰」「氷男」が収録されています。

2010/2