時代は明治30年くらいでしょうか。『家守綺譚』や『村田エフェンディ滞土録』と同じ頃のこと。数年前に千代という名の妻を亡くしてf植物園に移動してきた男が何かの巣穴と思われる木のうろ(何かの巣穴)に落ちたことから、異界と交わっていきます。
前世が犬であり今でも時々犬の姿になってしまう歯科医の家内。訳知りそうな千代という名の女性が給仕をしている食堂。アイルランドの治水神と、大気都比売神と、稲荷の祠。カエルのような姿をしながら、名前を欲しがる不思議な小僧。
主人公が聞き出さなくてはいけないこととは何なのか? 何か判然としない中で、彼は幼い日々の出来事を思い出していきます。千代という名の女中の思い出。水があふれた日に川で溺れた愛犬クロ。主人公が失ったものは何だったのか。
物語は「心の問題」へと収斂していきます。異端と混沌の世界で主人公の心は揺れ動き、苦しみや悲しみや愛おしさといったむき出しの感情に翻弄され、その感情によって過去を清算していくのです。彼が失い、そして手に入れたものを知るときに読者が得るものは深い感動にほかなりません。
2009/8