前書では家の周辺を離れなかった綿貫でしたが、本書では旅に出ます。イワナの夫婦者が営むという宿屋への宿泊願望を抑えきれず、失踪した愛犬ゴローの捜索かたがた、秋深い鈴鹿山中に分け入っていくのです。近江から伊勢へと向かう八風街道に沿って愛知川上流の永源寺、政所、さらに街道を外れて茶屋川沿いに、木地師の里の蛭谷・君ガ畑から上流に位置する茨川山村、さらに谷を遡った滝へと綿貫は進んでいきます。
厳しい自然の中で、河童、天狗、赤龍、幽霊など「人にあらざるもの」とともに生きる人たちと出会う綿貫は、この山系内で何かが起こっているのではないかと直感します。ゴローはそれを正すために呼ばれたようなのですが、この問題はさすがのゴローの手にも余るものだったのでしょう。それは、将来この地に建設されることになるダムによって、自然が影響を受け、村が水没するという予感だったのですから。
タイトルとなった「冬虫夏草」のように、「そのときどき、生きる形状が変わっていくのは仕方ないこと」であり、「人は与えられた条件のなかで、自分の生を実現していくしかない」というのは、生命の此岸でも彼岸でも真実なのでしょう。しかし、それは同時に喪失でもあるのです。だからこそなのですね。綿貫の「覚えていますとも」という言葉に救われるように思えるのは。
2014/5