りぼんの読書ノート

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女三人のシベリア鉄道(森まゆみ)

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ノンフィクション作家で市民運動家でもある著者が、明治末から昭和初期にかけての時代に全長9000キロを超えるシベリア鉄道を経て、パリへと向かった3人の女性作家の足跡を追って旅をします。ハルビン、バイカル、イルクーツク、エカテリンブルグ、モスクワ、ワルシャワなどを経てパリへと向かった著者の旅は、現代シベリア鉄道の紀行文であるとともに、3人の女性の評伝にもなっているんですね。

1912年。33歳の与謝野晶子は、夫・鉄幹を追ってシベリア鉄道でパリに向かいます。ダメ夫・鉄幹を超える文才を持ちながら、「みだれ髪」で子育てに専念しつつ、家計を支えた「強い女」晶子の旅は、彼女の性格そのまま。子どもを置いて旅立ち途中下車もない単独行。社会主義に先入観のない晶子が見たシベリアは、貧しいものでした。

1927年。28歳の中條百合子は、離婚後共同生活をおくるロシア文学湯浅芳子とともにあこがれのモスクワ留学を果たし、パリ経由で帰国。後に共産党委員長・宮本顕治の妻となる百合子は、実はお嬢さん育ち。彼女が見たソ連は、理想というフィルターを通したものだったようです。

1931年。27歳の林芙美子は、いかにも彼女らしく、恋人を追ってのパリ行きです。3人の中で唯一、労働者階級育ちだった芙美子が、ソ連の貧しさに加えて社会主義の欺瞞を見抜いているようなあたりが面白い。もうスターリンの粛清が始まっている時代。彼女の「明るくてしたたかな旅」が一番興味深い。

では、著者が見た現代ロシアはどうだったのでしょう。ノンフィクションライターの目は、かつて革命で倒したはずのニコライ一家とロシア正教が民衆の間で復活しているのを見届けています。それに加えて、現実的なものの見方をする若い世代の成長ぶりも。

それにしても、現代でも1週間、当時は2週間以上もかけて9000キロもの鉄道の旅。しかも与謝野晶子林芙美子は混乱期のシベリアを、女一人の単独行です。女は強い! タイトルは『女四人シベリア鉄道』でも良かったかもしれませんね。

2009/5