りぼんの読書ノート

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サガレン(梯久美子)

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「サガレン」とは「サハリン」の旧名のこと。何度も国境線が引き直された国境の島です。もともとアイヌ、ニブフ、ウィルタなどの民族が暮らしていた島に、日露両国が入ってきたのは江戸時代の末期。1854年の日露和親条約では帰属未定のままであったサハリンは、1875年の樺太千島交換条約で全島がロシア領土となり、1905年の日露戦争講和条約では北緯50度線以南の南半分が日本領土に、そして1945年の太平洋戦争直前にソ連が全島を占領するのです。両国間に平和条約が未締結であるため、国際法上は帰属未確定のままロシアが実効支配を続けているのです。

 

本書は、サハリンの南半分が日本領土だった時代にこの地を訪れた林芙美子宮沢賢治の足跡をたどった著者が、さまざまな思いを詰めこんだ紀行作品です。地名ひとつをとっても何度も変更されてきたサハリンの「歴史の地層」を主に鉄道で旅した著者は「鉄チャン」だったのですね。しかも「乗り鉄」に加えて「廃線ファン」でもあるとのこと。サハリンでも少ない滞在時間の中で、現在の鉄道北端であるノグリキから島の最北端のオハを結んでいた廃線の一部を歩いています。

 

ところでサハリンには、いわゆる観光名所はありません。芙美子や賢治をはじめとする人々を引き付けたものは、どうやら「陸の国境線見学」だったようです。もっとも1934年のサハリン旅行直前に共産党への資金援助を疑われて拘留された芙美子は、警察に警戒されて国境行きを断念せざるを得なかったようです。ちなみに1937年に女優・岡田嘉子共産主義者の杉本良吉とともに超えた国境とは、サハリンの北緯50度線のこと。

 

著者が紹介してくれる芙美子の『樺太への旅』は面白いですね。風景の説明のみならず、当時としてはヤバそうな政策批判や、旅先で出会った人や食事のことが細かく記されていて、当時の風俗や雰囲気を今に伝えてくれるのです。白浦(現ヴズモーリエ)駅で「パンにぐうぬう」と呼び売りをしていたというロシア人のことを、革命時の政治犯でサハリンに流刑され、日本領となった際に残留したポーランド人・ムロチコフスキなる人物であったことをつきとめた著者は、「芙美子に教えてやりたい気持ちになった」と記しています。

 

一方で、1923年にサハリンを旅した宮沢賢治は、むしろ自分の内面に深く沈み込んでいくようです。その前年に最愛の妹トシを亡くしていた賢治は、その長い旅路を「青森挽歌」、「宗谷挽歌」、「オホーツク挽歌」、「樺太鉄道」、「鈴谷平原」などの詩編に綴っています。著者によると、花巻を出てから樺太の地に立つまでの詩は深い悲しみと怒りで満ちており、死を思わせるフレーズも多いとのこと。しかし樺太で書いた詩は、不思議なほどに澄んだ空気が流れており、風景描写も生き生きとしているというのです。この旅が転機となり、『銀河鉄道の夜』の構想を得たのであろうという著者の推測は、おそらく当たっているのでしょう。

 

2021/2