りぼんの読書ノート

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堕ちてゆく男(ドン・デリーロ)

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ドン・デリーロの本を読んだのは、ケネディ暗殺事件を犯人のオズワルドの側から描いた『リブラ 時の秤』以来、2冊め。

9.11テロの直後にマンハッタンで撮影された、灰や埃にまみれたスーツ姿の男性がスーツケースを持って茫然として歩いている姿を捉えた1枚の写真があるそうです。著者は、その写真の男に「名前と物語」を与えることによって、本書を書き上げました。

エリート・ビジネスマンのキースは、燃え上がるタワーから人々が飛び降りる強烈な光景を目に焼き付けたまま、無意識に、別居中の妻リアンと息子の住むアパートにたどり着きます。なぜそこに向かったのか、妻にも説明できず、本人もわからないままに。

2人が家族を真に再生させようと努力しはじめるのは、ショッキングなTVニュースから遠ざけておいた息子が、「ベン・ロートン」という架空の悪人を作り出していたのを知った時からでした。子どもには「ビン・ラディン」がそう聞こえたんですね。

一方で、彼が持っていたスーツケースは、長いタワーの階段を下り続けた途中で拾い上げた、見知らぬ誰かが落としていったものでした。キースはケースの中のIDを頼りに、持ち主のアフロ・アメリカンの女性を訪ねていってつぶやきます。「持ち主がもういないという可能性もあったんだ・・」。2人は「あの瞬間」のことをデテイルに至るまで語り合います。細部の記憶を分かち合うことで、精神的な死から自分たちを救い出そうとするかのように。

この本は、記憶を巡る物語なのです。認知症初期の老人たちのケアをしているリアンは、以前から彼らの思い出を書き留めさせる手伝いをしていますが、多くが移民である老人たちは、古いパスポートや外国語で書かれた手紙を見ながら、必死で何かを取り戻そうとしています。命綱をつけてビルから飛び落ちるパフォーマンスを街のあちこちで行なうようになった男は、「あの瞬間」の記憶を忘れ去ることを人々から禁じているかのようです。

では2004年のブッシュ再選の翌日から書き始められたという本書は、何を言いたいのか。どうやら本書は、「アメリカvsテロ国家」という「大きな物語」に全てを収斂させることで、戦争を容認させていくという国家的な潮流に抵抗しているように思われます。個人の記憶を忘れ去ることは、声高に叫ばれる他のなにものかを容認することに結びついていくのでしょうから。たとえそれが、本書の幕間に挿入されているようなテロリストの記憶であっても・・。

2009/4